<T010-03>夢の旅(3)
(夢10)「天地創造の夢」
(夢11)「筋肉組織の講義を受ける夢」
(夢12)「船上で会話する夢」
(夢13)「質問を投げかけられる夢」
(夢14)「うまく結べないネクタイの夢」
(夢15)「母と電車に乗り、父と仕事に行く夢」
11月29日(28日~29日)
(夢10)「天地創造の夢」
私はどこかの施設、科学館のような所にいる。人類がどのようにして誕生したかを映像で見る。CGなどが駆使された、かなりリアルな映像だった。私が見た映像は次のようなものである。
そこはまるで水害の後のような情景で、木々は折れ、瓦礫のように石や岩が点在している。所々に汚泥の水たまりがある。地面は全体にぬかるんでいる。地上は最初はそのような状態だったと説明が入る。そこに天から、太陽の一片が地上に落ちてくる。それはとてつもない光を放ち、画面が真白になる。それの熱で木々は焼き尽くされ、泥水は乾し上がり、ぬかるみが乾燥していく。また、その一片のもつ破壊力で岩石は粉砕され、砂になっていく。そうして地上が浄化されていくのだった。
(連想と感想)
天地創造のような神話的な夢を見ることは、私の場合、とても珍しい。混沌が破壊されて、一掃されるイメージは、古いものが死に絶え、新しいものが生まれ出てくる予感を抱かせる。
そういう場面を客観的に見ているところが救いであるように思う。これを主観的に体験していれば、つまり、その映像の中に自分が入って行ったとしたら、私自身が破壊されていただろうと思う。
今回はあまり夢を覚えていない。この場面に至るまでの経緯があったということは覚えているのだけど、そこはすっかり抜け落ちている。この場面は、あまりにも鮮明であったので、特によく覚えている。
11月30日
(夢11)「筋肉組織の講義を受ける夢」
筋肉組織について、講義を受けている。正式な教室というような場所ではなく、男性講師を中心に数人が輪になって学んでいるという形だった。ある種の筋肉組織は、様々な原因によって非常に硬くなり、閉ざされてしまう。そうなってしまうと一部の行動ができなくなるということを、講師は語っていた。私は質問したりしながら、その場に参加する。
(連想と感想)
今回はいたって平穏な夢だった。講師の語っている筋肉組織というのは、どこか女性器を連想させた。彼ははっきりと女性器を指示したわけではないけど、どこか婉曲的に説明しているので、私にはそのように受け取られた。
12月1日
(夢12)「船上で会話する夢」
船で旅をしているようだ。船上で私は見知らぬ男性と会話をしている。私は、私の好きな音楽家やミュージシャンのこと、文学や映画のことを話す。芸能やアダルトビデオのことまで話しあった。
(連想と感想)
私は自分のことを話しているのだけれど、相手のことは何もわからない。相手が何か言ったという覚えがない。私よりかは年配の男性らしかった。船には他にも人がいたようだったが、私たちの会話には誰も参加してこなかった。
12月2日
(夢13)「質問を投げかけられる夢」
私はいろんな人からの質問に答える立場にいた。どこか教室といった雰囲気。様々な質問が投げかけられていたようだ。私は答えるのに必死だった。
(連想と感想)
先週から、「マイベストプロ大阪」に出している。そこでは質問を書き込める欄があって、私はそういう質問の答えるのが不得手であるし、果たして私に答えられるだけのものがあるだろうかといった心配がある。どのような質問を寄こされるかも、私にとっては恐怖である。昨日はそんなことを考えていたせいか、それが夢に反映されたのかもしれない。
具体的な情景を忘れてしまったので、何とも言えないが、数人の質問者が私を取り囲んでいたように思う。私に対してそれほど批判的な人は見当たらなかったようである。それほど心配しなくてもいいということかもしれない。
12月3日
(夢14)「うまく結べないネクタイの夢」
私は何か哲学的な命題について熟考していた。人間存在と雨との比喩的連関についてというような内容だった。
そろそろ行かなくてはならない。私は準備をして、ネクタイを結ぼうとしたが、それがどうしても結べない。いろいろ取り換えたりして、やってみたりするも、どうしてもうまくいくネクタイがない。そうこうしているうちに兄が迎えにきた。私は、結び目が不格好なネクタイのまま、兄と一緒に出る。兄は「お前、懐かしいシャツを着ているな。高校の頃着てたやつか」と言う。何のことかと思ってみると、肌着のシャツの派手な柄が、ワイシャツに透けて見えていたのだ。私は「格好が悪い」と思ったけど、着がえる暇がないので、そのままにした。
現場に着いたのか、私は兄と食事にする。隣の部屋から、若い女性が来る。私の教え子か同級生か、そういう関係だった。彼女と少し言葉を交わす。「私と十歳くらい年の差があるな」などと考えた。
(連想と感想)
夜、夢を見なかった。どうも今週はあまり夢をみないなと思っていた。この夢は、昼休みにうたた寝をした時に見たものだ。うたた寝をする直前まで、「共同存在の現象学」(レーヴィット著)という哲学書を読んでおり、目が覚めた時には、同書が私の首に乗っかっていた。夢の冒頭の哲学的な思索とネクタイがうまく結べないという部分は、この本のせいかも。
それはさておき、夢の内容を追ってみると、最初は私が一人で思索している場面である。その活動は中断しなくてはならない。どこかへ行かなければならないからだ。つまり、それだけに時間を費やし過ぎてはいけないということのようだ。現実の活動があるわけで、そちらにも追われなければならない。
ネクタイがうまく結べない。実際は結ぶことができているのだけれど、結び目が大きすぎたり、長さがアンバランスだったりして不格好なのである。社会的な場面に出るまでに時間がかかる、その準備に手間取っているという感じだった。そういう切り替えがうまくできていないのかもしれない。
兄が迎えにきたのには驚いた。夢では、兄は私のマネージャーのような存在だった。その兄が、私のシャツを指摘したのである。高校生の頃に着ていたシャツかと兄が言う。現実にはそのような派手なシャツは持っていないのだけど、夢では知らずに着ている。私の高校時代は兄との競争で費やされたというところがある。兄と高校時代はそういう形で結びついている。その時代は、私にとっては一つの華であった。シャツの柄の華やかさと関連するのだろうか。高校時代を私はまだ身にまとっているのだ。表向きは見えないけれど、下に着込んでいるから透けて見えるのだ。そして、それは今の格好と不釣り合いなのだ。それに自分では気づいていない。兄が指摘するまでは気付いていなかったのだ。
それから、夢ではなぜか二人で食事をする。ユングによると、食事、会食はコンプレックスを同化する作業だということである。兄と食事をするということは、兄との関係で築かれたコンプレックスを同化する、消化するということにつながるのかもしれない。
兄との食事は、一人の女性の出現で終わる。これは中断されたという感じではなくて、次の段階に移ったような感じだった。その女性は、実在する誰かではなくて、まったく未知の人だった。明るくて、感じがよく、しかし芯の強いところがある、そういう感じの女性だった。彼女は私よりも十年は若いということを考えている。
十年前の私(つまり、夢の中の女性と同じ年齢の頃)は何をしていただろうか。しばらくカウンセリングから離れて、アルバイトばかりして食いつないでいた頃だ。たくさんの人との出会いがあった時期だ。私はすっかり忘れていたのだけど、当時、とても好きになった女性がいた。私が最後に経験した恋愛だった。恋愛といっても、私の片思いだったのだけど、考えてみると、それ以来、女性に惚れるということがなくなった。普通に好きになるとか気に入るということはあるけど、恋愛感情というのはまったく枯渇してしまったようである。夢の中の女性は、惚れた女性のことを思い出させてくれたと同時に、そのような感情をあまりにも置き去りにしている自分に気づかせてくれたようだ。
最近は忙しくて、現在のことに目を奪われることが多いのだが、この夢では、過去の体験や、昔関わりのあった人のことを置き去りにしてはいけないということを示してくれたように思った。置き去りにするのではなく、再び自分の中にきちんと消化し、位置づけることを教えてくれているようである。
12月4日
(夢15)「母と電車に乗り、父と仕事に行く夢」
外出する。電車に乗る。母と一緒だった。席が一つだけ空いたので、母を座らせた。私は母から少し離れた場所で立っていた。窓外の景色を見たかったからだ。吊革を持っていると、背広の袖がほつれているのに気づいた。虫に食われたようだ。白い粉が付着していたが、その虫の糞か卵だろうと思った。汚らしいので、腕を下ろして、見えないようにした。
席に座った母が大きな声で「清水さん」と呼んだ。母は隣の人と話していたのだ。私の後ろを通りかかった車掌さんが、小さな声で「はい」と答えた。彼の名前は「清水」なのだろうと、私は何となく考えた。母はサッカーのことを話していた。母には意外なことだった。
作業現場に到着する。一緒に歩いているのは父だった。現場は工場のような感じだった。工場の人たちが円陣を組んで焚き火に当たっていたので、「おはようございます」と挨拶しておいた。みんなは先に来ていて、到着した私たちに、先に弁当を食べておいてくれと言う。弁当を貰って、ベンチの座ろうとしたら、そのベンチは砂だらけだった。父は気にせずに座ったのだけど、私はもうちょっときれいな場所を探すと言って、工場の中庭のようなところを歩いて行く。確か私の椅子があったはずだ。記憶を頼りにそこに行くと、すでに作業員が座って弁当を食べている。私はさらに奥に歩いて行った。突き当りまで行って、一つだけ席が空いていたので、そこに決めた。
弁当を食べようとする。とても大きなとんかつが入っていて、私は口に入れることができなかった。それでも無理に食べて、苦しくなってきた。
(連想と感想)
前日は夕食を食べるタイミングを逃して、夜中の1時頃に晩ご飯を食べるということをしてしまった。朝、目が覚めたときの胃もたれ感と夢の中の苦しい感じとが、重なっている感じだった。
現場では私のイスである場所に、すでに他の人が座っていた。そこにはもう私の居場所がないということを示しているようだ。もうそろそろ、父の仕事のアルバイトは止めようかと考えていたので、夢はその潮時であることを示してくれたかのようである。
母と電車に乗る。母がサッカーのことを話していたというのは、私が子供の頃、実は私はサッカー少年だったのだ。小学校の低学年頃までだけど。その頃に、母がよく電車に乗って私をどこかに連れて行ってくれたりしたのを思い出す。その頃のことを思い出させる。その当時の私は、どこかに遊びに連れて行ってもらっても、まったく楽しめない子供だった。遠くに行けば行くほど、そうなのだった。どこかに行けば、そこで置き去りにされるという恐怖があった。母はそんなことをしそうにない唯一の人だった。父や兄に対しては、私を置き去りにするために私を連れ出そうとしているのではないかと、そんな不安でいっぱいだった。だから、父や兄にはぴったりくっついていなければならなかった。
父の仕事を手伝うということも、ぴったりくっついていかなければ置いて行かれるという不安の名残なのかもしれない。
「清水さん」の部分は、私にはまったく分からない。母が誰かの噂話をしているのだろうと思われるのだけど、それは私にはとても不快なことで、それは虫の食った袖口として、その不快感が表わされているようだ。それは見えないように、隠さなければならないということになる。
それに、夢では、母を一人で座らせて、私は母から離れている。私と母との間に距離が開くと、母は他人の噂話を始めているわけである。距離ができると、お互いに無関心になるのである。母との関係は昔からこんな感じだったと思い出す。
12月5日
不覚にも夢を忘却する。見たという記憶はなんとなくあるのだけど、どんなのだったか思い出せない。
<3週目を終えて>
この週は、断片的に夢を覚えていることが多かった。一部だけが記憶に残り、その他の大部分は抜け落ちてしまった。記憶に残っている部分が大事なのだと考えることもできれば、記憶に残っている部分の直前の部分(つまり忘却されている部分)こそが本当に大事なことであると考えることもできる。いずれにしても、記憶に残った材料を掲げ、そこから考えていくしかなかった。
最初の(夢10)では天地創造といった神話的なテーマが見られた、何かが誕生する予感を抱かせる。(夢14)(夢15)で、兄弟の葛藤や両親との関係といったテーマがもたらされるのであるが、以前見たような悲劇的な色彩はない。
同じように、(夢11)(夢12)(夢13)においても、それほど激しい夢ではなく、淡々とした夢だった。どこか静かな夢なのである。この静けさというのは、(夢10)で、大地が新しくなって、浄化されたイメージと重なる部分を感じる。
日常の生活においては、雑務に追われることが多く、それなりに忙しい一週間であったが、比較的落ち着いてできている。現在のことに、あまりにも目を奪われてしまっているから、過去のことなどを夢にみるのかもしれない。(夢14)のように、過去に関係があった人のことを思い出させてくれたのは夢のお陰である。そのような人たちは、きっと私の心の糧になっているはずなのであるが、今、現在のことに手一杯になってしまうと、彼らを忘れてしまう。もう一度、心に現わしてくれたかのようだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)