コラム18~離婚(3):Aさんの事例(続き) (約2400字)
(再び事例Aさんに戻って~知り合った頃のことが話題になる)
離婚後のAさんの生活がどのようになっていくかを、彼に考えてもらい、イメージするという作業をしていきました。どのように変わるかということは先述したとおりであります。私は「そのような生活はAさんにとって、どのような意味があるのでしょう」と尋ねました。それに対して彼は「以前の生活を続けることになる」と答えました。
「それはどういうことでしょう」と私が尋ねると、彼は結婚前の生活を語りました。時はバブル経済崩壊後の、大学生の就職難の頃でした。彼が入学した頃は、まだ景気がよくて、彼の先輩たちはとんとん拍子で就職を決めていたのです。ところが、彼が就職活動する頃には、様相がすっかり変わってしまい、新入社員を取らない企業がたくさんあったのです。就職は困難でしたが、かろうじて彼は神戸にある小さな会社に入ることができました。大学時代に、社会の明暗をはっきり見てきた彼にとって、会社に入れるだけでも良かったことだと述べていましたが、一方で、先輩たちとの不公平感から、彼はますます上を目指そうという気持ちを起こしたようでした。
彼の理想は、このままこの会社で出世していって、ゆくゆくは自分の支店を持つということでした。この理想にかんしては後に取り上げることになるでしょう。
入社した翌年、阪神大震災が起きました。彼の会社もダメージを受けました。会社が再建するまで、かなり時間がかかりそうだったので、彼は実家のある大阪に戻り、再就職することに決めました。
再就職は、知人のコネも使って、利用できるものはなんでも利用するというような気持ちで取り組み、どうにか成功しました。それほど大きな会社でもないのですが、やりがいのある仕事だと彼は感じました。
彼が取り戻したいと考えている生活というのは、震災で中断されるまで続いた生活のことのようでした。入社して、高い理想を抱きながら、一年も経たずに終わってしまった、あの生活をやり遂げたいと願っているようでした。
さて、Aさんの妻とは、再就職先で知り合ったのでした。そこでは妻の方が先輩にあたり、彼の面倒をとてもよく見てくれたようでした。Aさんは彼女に惹かれていきます。そして結婚ということになりました。結婚してからのことは、最初に述べたように、彼に幸福と充実感をもたらしてくれていました。
Aさんの妻という人は、彼の話からすると、とても面倒見のいい人のようであります。甲斐甲斐しく相手に尽くし、相手を助けようとする人のようであります。それも、母親が子供の面倒を見るような感じでするのでしょう。それと、おそらく、同情心にも厚い女性のように思われました。
Aさんは、こういう妻を得たことで満足があったわけであります。それが、年月を経るに従って、同じ人に対して不満がつのってきたのであります。これはどういうことなのでしょうか。
(鍵と鍵穴の関係~夫婦の一つの形態)
さまざまな夫婦のあり方がある中で、鍵と鍵穴のような関係の夫婦も少なくないようであります。それは一方の空隔を他方がきっちり埋めてくれるというような関係であります。鍵と鍵穴がぴったりフィットしている限りにおいて、その二人は最高のパートナーどうしに思われるものであります。
Aさんの場合もそういうところがあったようです。お互いがフィットしている間は良かったのです。ところが、一方の形が変わってしまったために、鍵穴に鍵が合わなくなってしまったのであります。
では、変わってしまったのはどちらなのでしょうか。Aさんでしょうか、それとも妻のほうでしょうか。この例では、Aさんの方が変わってしまったのであります。
Aさんは就職難の時代にかろうじて入った会社で、理想を掲げながらもそれの実現に近づくこともなく、震災ですべてを失ってしまったのでした。彼の話では、地震が起き、半倒壊したマンションから、取るものも取りあえず、斜めに傾いた階段を下りて逃げ出したそうでした。そして、仕事も失ったのでした。大学を出て、一年も経たないうちにすべてがなくなってしまったのでした。彼はそういう体験をしたのでありました。
妻となる女性は、再就職したAさんにとても同情したのでしょう。当時のAさん自身、そういう同情に飢えていたのかもしれません。ここに鍵と鍵穴が成立したと見ることができるでしょう。彼は何もかも失ったサバイバ―で、妻は彼に与えることのできる救世主のようになったのです。
彼が変わったというのは、年月が過ぎ、震災の影響から回復していくにつれて、彼はもはや同情を乞う哀れな存在ではなくなっていたということでした。もはや、同情も、いかなる援助も必要としない、一人の自律した人間に彼は戻っていたのです。妻の方は、まだ彼を同情と援助が必要な哀れな男と見ていたのであり、ここに両者のずれが生じてしまっていたようであります。妻は彼の面倒を見ようとします。既に彼はそんな面倒を見てもらう必要はなくなっているのにもかかわらずにです。だから、妻が彼に対してすることは、彼には不必要なことになっており、彼には煩わしいだけのものになってしまっていたのであります。妻に甲斐甲斐しく世話を焼かれることは、彼にはむしろ自分のプライドが傷つくような体験となっていたのかもしれません。
彼はもはや援助が必要な子供のような存在ではありませでした。彼が一人の男性として、女性社員とお喋りを楽しむことができ、またその時間を充実したものとして体験していたということもそれを表しているかのように思います。
簡潔に述べるなら、彼には自分が子供扱いされることが耐えられなかったのだということになるでしょう。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)