コラム16~離婚(1):Aさんの事例:カウンセリングを受けるまで
(約3000字)
カウンセリングを受けに来た一人の男性がいました。仮に、ここではAさんとしておきます。
Aさんは結婚しており、その夫婦生活は極めて円満でした。最初の頃は、胸を躍らせて、妻の待つ家に帰っていたのでした。その生活はとても充実しており、仕事もやりがいをもってこなしていました。
結婚生活も数年経つと、何かが変わってきたことに彼は気づきました。彼には日に日に妻のことが煩わしく感じられてきたのでした。妻の言動が時々神経に触るようになっていたのです。彼は、その頃は、これはちょっとした倦怠期だろうくらいに受け止めており、時間が経てばまた以前のような関係、以前のような生活に戻れるだろうと考えていました。
しかし、彼の期待とは裏腹に、状態はますますひどくなってきました。かつては胸躍らせて妻の待つ家に帰っていた彼が、今では、家に帰るのを何とかして遅らせようとするようになったのでした。特に急ぎの仕事でもないのに残業をしたり、用もなくだらだらと会社に残ることもありました。会社帰りに寄り道することも増えました。これはかつての彼では考えられないことでした。それでも家に帰らなくてはなりません。家に帰っても、妻との会話は減っていき、些細なことでケンカになり、彼にとって妻の言動はますます耐えがたいものに感じられてきたのでした。
こうして彼は、家庭では憂うつな気分に襲われ、生活からは活気が失せ、火が消えたように消沈した日々を送るようになったのでした。気分は落ち込み、食欲も減退し、睡眠も十分に取れなくなっていきました。会社では、仕事に集中できず、小さなミスを繰り返すようになり、成績も下がってきました。
以前よりも状態が悪化している。彼はそう実感しました。もはや時間が経てば回復するだろうという楽観的な期待をすることはできませんでした。彼はすがるような思いで精神科を受診しました。その時の診断は「軽いうつ病」ということで、薬を処方されました。
薬は彼にはよく効いたようでした。集中力が増し、食欲や睡眠を取り戻していったのでした。しかし、その一方で、妻に対してはますます耐えられないほどの怒りの感情を覚えるようになったのです。今では、妻の一挙手一投足がすべて彼の神経に障り、妻のことに関してはいつもイライラしていました。
この頃、会社の女性とお喋りすることが増え、それは彼にとっては久しぶりに女性との会話を楽しんだ経験となったのでした。こういうことは結婚当初の彼からは想像もつかないことでした。結婚した頃は、他の女性と会話することは、妻に対して罪悪感のようなものを感じていたと彼は述べました。それが、今では、他の女性と話すことは楽しみであり、新鮮な体験ですらあったのでした。
家庭ではますます口論が激しくなり、夫婦の関係は完全に冷えきってしまいました。そこにはお互いに対する愛情も思いやりもないということが、お互いに分かっていたようでした。それでも夫婦関係を維持しなければいけないと思い込んでいたのは、子供のためでした。彼は言いました。もし子供がいなければもっと早く離婚していただろうと。
彼がカウンセリングを受けに来た時は、さらに状況は悪化していて、家庭は崩壊寸前というところまで来ていました。「同じ男性だからわかってくれるだろう」と思って、私に会いに来たと、彼は述べました。この時点では、まだ離婚はしていませんでした。
(「病」の背後にある夫婦関係の「問題」)
ここまでAさんがカウンセリングを受けに来るまでの経過を見てきました。これは彼がカウンセリングの中で語ったことを私が時間順に再構成したものであります。上記のようないきさつは数回に渡って語られてきたものでした。もちろん、その間には他に多くのエピソードが語られているのですが、必要な話のみを取り上げているのであります。
さて、事例を先に進める前に、ここまでの所で重要と思うポイントを述べていくことにします。
まず、結婚して数年目に、彼は夫婦生活に変化が見られたことに気づいていました。彼はそれを倦怠期に入ったのだろうと考えました。彼は自分が体験している変化を過小評価していたと言えます。本当はこの時期にカウンセリングを受けるなり、何らかの対処をすることができたのですが、彼はそれを大したことはないとみなして、そのままにしてしまったのであります。
その後は、先述したとおり、状況はますます悪化していきました。このことはAさんだけに該当するわけではありません。カウンセリングを受けに来た人の話を聞いていますと、自分の状況に対してAさんがしたような過小評価をしてしまって、どうにもならない状況に追い込まれて初めて援助を求めるという例が本当に多いのであります。自分の後退や生活に変化が見られたにも関わらず、それを大したことはないとみなしたり、そのうち良くなるというように考えたり、時にはそうした変化に気づかなかったり、見過ごしてしまったりする人もあります。これらはみな自分自身の変化や状況を過小評価していることになるのであります。
彼にもそういうことが起きていました。早い段階で援助を求めていれば、自体はもっと違った展開になっていたことでしょう。
彼はまず、心身の状態が不調であるということを訴えて、お医者さんにかかったのです。お医者さんは彼を診察して「軽いうつ病」と診断しました。この診断は間違ってはいないのですが、私は個人的な見解として「うつ病」と「うつ状態」ということの区別をもう少しつける方がいいのではいかと考えています。Aさんの場合は、「うつ病」として診断するより、「うつ状態」と診断する方が適切であると思います。
医者から処方された薬はAさんにとてもよく効きました。彼は以前の集中力が回復し、生活習慣を取り戻したのでした。しかし、困ったことに、妻に対する怒りの感情や不平不満が噴き出すようになったのです。こうした感情を彼は表に出さないように努めていたということがこのことから推察されるのであります。この感情を表に表さないということは、彼に莫大なエネルギーを消費させていたのでした。これが彼に「抑うつ」感をもたらし、ひいては集中力や気力を奪っていたのでした。言い換えるなら、薬がとてもよく効いたがために、「うつ状態」に陥ってまで抑えていた感情と向き合わされることになったんであります。
ここで重要な点は、Aさんはお医者さんから診断名を貰ったことで、「うつ病」ということが彼の問題であるというように分類される可能性が高くなるということであります。その「問題」や「病」の背景に夫婦の問題が潜んでいるということが案外多いのでありますが、表に現れた問題に診断名を付されると、背景にあるものが見過ごされる可能性が出てくるのであります。実際には、ほとんどのケースにおいて、クライアントがカウンセリングを受けにくることになった直接の問題の陰には夫婦の問題や家族の問題が潜んでいるものであります。しかし、病院に行くと、それは「うつ病」とか「人格障害」や「摂食障害」などといった問題としてみなされることになりかねないのであります。
もしAさんの治療が「うつ病」治療に限定されていたとすれば、今後のカウンセリングでみられるような展開は望めなかったかもしれません。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)