コラム13~ECM騒動(1)  (約2600字)

 

 新しいホームページを作成しようと思って、ある制作会社と契約しました。その会社はECMという名前で、それなりに実績もあるようでした。ところが、このECMに逃げられて、私はたいへん困った状態に陥っております。

 私の考えでは恐らく倒産したのだろうと思うのですが、その前兆は既にあったはずでありますし、最後に契約だけ取って、リース会社からマージンだけ獲得して逃げようという計画だったのではないかと睨んでいます。いずれにしろ、契約不履行であることに違いはないのですが。

 先日、ECM社を訪問しますと、そこはもぬけの殻でありまして、テナント管理の人に尋ねたところ、その前週、慌ただしく去って行ったということでした。ほとんど夜逃げだったのではないかと思います。テナントを去るにしても、賃貸契約の関係上、そのことは前もって管理人には知らされていたのではないかと疑っております。もはや、行方が知れないために、私も追及することも訴訟を起こすこともできず、参っております。

 私の損失は構わないのですが、唯一の希望を申し上げれば、もう一度、契約を結んだ営業の人や制作の人と会って、しかるべき対決を試みたいと考えているのであります。

 

 こういう夜逃げ同然のことをしておいて契約者には一切説明をしないというのは、きっと社長の意図なのでありましょう。しかし、この社長の意図が、とにかく逃げれば勝ちとか、捕まらなければいいとか、責任を負わずして逃げおおせることができるというのであれば、その社長は小学生程度の精神的成熟しか達成していないということであります。

 企業には倒産がつきものであり、倒産することが必ずしもいけないことであるとは言えません。しかし、倒産した場合、契約を結んだ得意先や顧客との間で、事後処理を行う責任があるはずであります。この社長は、その責任を回避し、夜逃げのようにして逃げ出してしまっているのであります。

 社長が未熟なら社員も未熟で、私がお会いした三人の社員、谷本、山内、大橋といった人たちも例外ではありませんでした。彼らとは夢の話をしましたが、谷本はいまだに家族から離れることができず、山内は夢をコントロールできると豪語するくらいの自己愛の塊のような人間で、大橋は集団の中で主体性を持てないでいます。未熟な社長の下で働いているから、彼らも成長の機会が奪われてしまったことでしょう。もし私が彼らだったら、ECMに所属していた期間を人生の恥と捉えることでしょう。

 

 「作ります」と言って契約をしておきながら、作っていないのですから、契約不履行ということになるわけですが、それよりもむしろ詐欺だったと私は捉えております。

 詐欺をはたらく人間がよく「騙される方が悪い」などと述べるのでありますが、これは彼らの理屈を表しているのではなく、彼らの無能さを表しているのであります。彼らは自分の行為の正当性を証明することもできず、反省する能力も示しておらず、自分の行為に対してそれは相手が悪いとしか表現できていないわけであります。だから、このようなことを語る詐欺師は無能なのであります。

 ECMもまた然りであります。百歩譲って彼らが詐欺ではなかったとしても、責任を負うこともせず、説明することもせず、逃げ回るしかできていないわけですから、これらは彼らの無能ぶりを如実に語っているのであります。

 

 その後、ECMのサポートセンターなる所から封書が届きました。それには窓口として電話番号が記されていました。結果は分かっていたのですが、一応電話をかけてみますと案の定つながらないのであります。いつかけてもつながらないのであります。このような窓口は在って無いようなもので、まったく機能しているわけでもなく、ただのポーズであります。

 

 ECMがもたらした損失はお金ではありません。お金なら、また働いて稼げばいいと考えておりますし、私自身、それほどお金にガツガツしていないのであります。しかし、ECMのホームページに掲載する原稿を書いた私の労力と時間は取り戻せないのであります。ECMの原稿のために、このマイベストプロのコラム再開が二カ月ほど遅れたのでありますし、ホームページが完成した後にそれを読んでくれるであろう潜在的読者に対しても損失をもたらしたのであります。

 また、去年の暮れくらいから、私はちょっとしたグループワークみたいなことをやってみようかと計画しておりました。ECMが割り込んできたことによって、その計画は棚上げにしてしまいました。もし、何らかのワークショップを開催できていたらきっと参加してくれる人もあったことでしょう。そのような人たちに対しても、ECMは損失を与えているわけであります。たいへんな罪であります。

 人は多かれ少なかれ罪を背負うものであります。罪は許されるのですが、その罪がなくなるわけではありません。ここを勘違いしている人はたくさんあります。刑に服することで、罪人は社会に戻ることが許されるのですが、彼が負った罪がそれで消えてなくなったということではありません。

 私の出会った人の中には前科がある人もいます。彼は刑に服した後、就職して、今では一人の社会人として許容されています。しかし、夕方、仕事が終わると、彼はとてつもない不安に襲われ、毎晩浴びるように酒を飲むのであります。彼は私よりも若いのですが、立派なアル中でした。彼の罪は確かに許されていますが、彼の中では罪は消えていないのであります。今でも罪悪感に襲われ続けているのであります。

 罪にこそ問われないとしても、罪悪感もなく逃げ回る人たちよりかは、彼の方がより人間的であります。一生消えない痕跡として罪が刻まれている彼の苦しみが、逃げれば勝ちという人には理解できないことでしょう。罪悪感に苛まれている彼の方が、はるかに善良な人間なのであります。

 契約不履行で逃げているECMの面々は、自分のしたことで悪夢にうなされる日がいつか訪れることでしょうか。きっと、その日は来ないことでしょう。この私自身でさえ、ECMと契約してしまったことで多くの人に迷惑をかけたかもしれないと認識しており、罪悪感を抱き、私自身の不甲斐なさに苦しんでいるというのに、彼らには何も伝わらないことでしょう。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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