12年目コラム(69):世相編~モンスター
「透明人間現れる、ショック」なんて歌があったけど、あれは嘘だ。透明人間が現れてもショックを受けることなどない。見えないのだから。もし、ショックを受けるとしたら、透明人間がなんらかの形でその存在をアピールした場合だ。しかし、これは背理である。透明人間が自分の存在を顕示するのであれば、透明であることの存在理由を失うからである。
ウエルズの小説では、透明人間が人間に危害を加えるからモンスターになるのである。危害を加える人間が透明であるというところが怖いのであって、透明であること自体は罪でもなんでもないのだ。
空想上のものであれ、都市伝説であれ、いつの時代にもモンスターは現れた。僕が子供だった頃、モンスターと言えば、「口裂け女」だった。
口裂け女をご存じない方のために説明しよう。人気のない通りを歩いていると、顔の下半分をマスクで隠した女が物陰から出てくる。
女は「私、きれい?」と尋ねる。
いつ、どこで、だれが、どのようにして決めたのか分からないが、その問いに対しては「きれいだ」と答えなければならないらしい。
女は、「そう、これでもきれい?」と言って、マスクを外す。そこには口が両耳まで裂けた醜い顔が現れる。
やはり、いつ、どこで、だれが、どのようにして決めたのか分からないが、ここでも「きれいだ」と答えなければならない。醜いと言ったり、驚愕してしまうと、女に殺されるという。
殺されそうになれば逃げればいい。僕の知っている限りでは、神社に逃げると助かるとか、薬局に入るといいとか、諸説あったように思う。都市伝説ならではの現象だ。
これが口裂け女の全貌である。
口が両耳まで裂けていると言っても、「進撃の巨人」のように、そのすべてが口というわけではないだろう。頬裂け女と呼んだ方がいいのかもしれない。
それはともかくとして、口裂け女の発祥は岐阜県かどこかその辺りだった。それが滋賀県を経由して京都に入ってきたという噂が飛んだ。なんでも、京都と滋賀の県境からそれらしい女性を乗せたというタクシー運転手の証言があるそうだ。
この噂は僕に多大な恐怖をもたらした。他府県のことなら、あたかも対岸の火事を眺めるような気持でいられたのだけど、いよいよ僕の住む京都に口裂け女が入ってきたとなると、もはや心中穏やかではいられなかった。リアルに怖かった。いつか口裂け女と遭遇してしまうのではないかと、マジでビビッていた。
今となっては懐かしい思い出だ。学校から帰る時でも、口裂け女がその辺に潜んでいないかと恐る恐る帰宅したことが思い出される。
そして、いつしか、口裂け女の噂も聞かなくなり、その存在さえ忘却してしまった。
モンスターや怪人の多くが不幸な境遇を背負っているのと同様に、もしかしたら、口裂け女も不幸な過去を持っていたかもしれない。
おちょぼ口で悩む女性が、意を決して、魅力的な口に整形手術をしたのかもしれない。整形医は、美的感覚がおかしかったのか、女性に恨みがあったのか、それとも手術当日酔っぱらっていたのか分からないが、本人が望む以上に大きな口に整形してしまったのかもしれない。整形手術に失敗して、もはや人目に出ることさえ憚れるようになった女の物語があるのかもしれない。
透明人間が透明であること自体に罪がないのと同じで、口が裂けていること自体は罪でもなんでもない。口裂け女が恐れられたのは、人を殺すからである。いずれにしても、不幸を背負った女が原型だったかもしれない。
今の時代、子供たちに恐れられているモンスターっているだろうか。ある人が「火星人が存在しないことは人類にとって不幸である」という名言を残しているが、共通に恐れる対象が存在することで、僕たちは一致団結することだってある。
口裂け女は、僕にとっても怖いモンスターだったけど、他の子供にとっても怖い存在だった。いざとなれば、僕たちはともに助け合い、ともに戦うということをしていたかもしれない。
時代は変わり、いまやモンスターは隣人であったり、保護者であったり、生徒であったり、顧客であったり、配偶者であったり、上司であったりする。本当なら協力しあう間柄でなければならないはずの相手がモンスターなのだ。あなたの隣人がモンスターかもしれないし、結婚した相手がモンスターかもしれない。受け持った生徒さんの親がモンスターであるかもしれない。まるで、どこにでもモンスターがいて、いつモンスターに遭遇してもおかしくないような状況だ。
身近な人がモンスターかもしれない、あるいは、いつかその人がモンスターに変貌するかもしれない、そんな思いをお互いに抱きながら、疑い合いながら、怯え合いながら生きるなんて、殺伐とした時代になったものだ。
僕は思う。今の時代、「口裂け女」が存在しないことは、不幸なことである。
マスクを装着している人を見かけることが、一時期よりも普通になってきた。風邪や花粉症対策でマスクを装着しているわけだが、この冬もたくさんそういう人を見かけた。女の人もたくさん見た。その中に、一人くらい、口の裂けた女の人がいたらいいのにと、僕はいつも思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)