12年目コラム(82):基礎コース
N先生に、僕も先生のようになりたいと伝えると、では、ここに行って勉強してきなさいと教えていただいたのが、関西カウンセリングセンターさんだ。そこに行って勉強すればN先生のようになれるのだと、純粋に僕はそう信じた。
カウンセリングセンターは、最初に「基礎コース」を受けることになる。誰もがそこから始めるのだ。
でも、いざ、そこに通おうとすると、やはり躊躇する気持ちが生まれた。また学校に通うのかという気持ちと、果たして今度は上手く出来るだろうかという気持ちの両方が合い混ぜになっていた。
取り敢えず、問い合わせだけしてみようと、僕はそこへ電話をかけた。まだ申し込みに間に合うだろうか、不安だった。
幸いにも、この日が申し込みの締め切り日だった。しかも、夕方だったから、本当に最終日の最終の時間に申し込んだのだった。そして、「では、明日から講義が始まるので来てください」と言われた。
なんと、今からでは信じられないことだけど、開始前日の夕方に申し込んで間に合ったのだ。当時、カウンセリングの知名度と言えば、そんなものだった。
翌日。僕はその会場に向かう。テキストをいただく。講堂に入り、適当な場所に座る。テキストを紐解いてみる。ワクワクした。これまで勉強してきたことが書いてあるからだ。これで本格的に僕も勉強ができると、期待感に胸が躍る。
僕の隣に女性が座った。この人は、僕の勉強会グループに入ってもらった。素敵な人だった。勉強会グループのことは後で書こう。
初日の講義を受けた。興奮していて、帰りの電車の中でもテキストを読み通していた。帰宅しても、気持ちは鎮まらず、自転車を取り出すや、夜の街を疾走した。それくらい気分が高揚していたのだ。
公衆電話を見つけると、そこで友人に電話をかける。友人はとっくに寝ていた。それもそうだ。夜もけっこう遅い時間だったから。
僕は友人を叩き起こして、今日の出来事を話す。勉強したいと思っていたことを勉強できる、そういう教室に行ってきたこと、いろんな人と知り合ったことなど、良かったと思えたことはどんなことも伝えた。
いい友人に恵まれたなと思う。友人は愚痴一つこぼさず、舞い上がっている僕の言葉に耳を傾けてくれた。
そうして、1年間、基礎コースの授業を受けたのだった。たくさんの人とも知り合えた。今でも忘れられない人たちだ。
僕は勉強会グループを作ろうと提案した。みんな、僕によく付き合ってくれたなと思う。これまでが孤独だったから、人を引き付けておきたいという気持ちもあったと思う。時々、強引になることもあったけど、みんな、よく辛抱してくれたと思うし、根気よく付きあってくれたと思う。
僕は、一応、学生だったけど、みんなはお勤めをしている人たちだから、学生と同じようにはできない。何となく、そこは分かっていたのだけど、ついつい、僕に合わせようとしてしまったんじゃないかと僕は反省している。
当時、24歳ころのことで、まだ社会のことも良く知らず、一生懸命にやってはいたけど、なにぶん、自分勝手になってしまうこともあった。若かったなと、今では思う。
その頃の生活ってどんなだっただろう。
一応大学生だった。大学時代のNさんとは、少し疎遠になりかけていた(これは最後には仲直りする)。
大学には毎日行っていた。ほとんど自習しに行っているようなものだった。
週に二回、カウンセリングセンターの講義を受ける。夕方、大学を出て、その足で大阪まで向かう。たいてい一番乗りだ。6時からの授業に、5時頃には会場に着いていた。それくらい意気込んでいたのだ。
6時から9時までの3時間、講義を受ける。講義の後は、一杯引っ掛けることもあったけど、喫茶店とかに入って、講義のノートを清書することもあった。
講義ノートの清書は、主に大学の自習室でやっていたのを思い出す。それをしに大学に行ってたようなものだ。
土日祝日だけ、アルバイトをする。スーパーのバイトだった。
更に不定期に電気のアルバイトが入る。父がやっていた仕事だ。人手が足りない時に呼ばれていた。
N先生とのカウンセリングも続いていた。それが週に一回、もしくは二週に一回あった。
そうそう、作業所のボランティアもこの年だった。これは主に水曜日だった。
さらに、それとは別に本を買って勉強していた。その頃、収入はアルバイトで稼いだ分しかなかったけど、それでカウンセリングセンターやその他の経費を賄わなければならなかった。それでも毎月3000円は、心理学や精神分析に関する本を買おうと決めていた。当時購入して勉強した本は、今でも特別な意味合いがある。限られたお金の中で、できるだけ安くいいものを買うようにして、買った本はしっかり読んだ。
あと、カウンセリングセンター以外にも、いろんな大学の公開講座なんかにも顔を出した。あの頃はインターネットなんてなかったから、そういう情報は実際に自分の足で歩いて集めたものだった。
こうしてみると、火曜と木曜はカウンセリングセンター、水曜日はボランティア、土日はアルバイト、その他の曜日にN先生との面接とか、公開講義なんかが入っていたということか。そして、平日は大学に行って、自習室なんかにこもって勉強したり、時折授業に出たりしていたのか。けっこう忙しかったように思う。
その前年度とはまったく生活が異なった。僕自身も異なっていた。朝起きて、目が覚めなければよかったのにと悔やむ僕は、その時には、もういなかった。日々が充実し始めていた。僕は生き直したような気持ちだった。
一年間、基礎コースで学び、そこで知り合った人たちとは、後の過程でも、何かとご縁のあった。おそらく、この一年間は、僕の人生において、もっともたくさんの人と知り合えた年だったんじゃないかと思う。みんな、いい人たちばかりだった。
この基礎コースの中間に、箱庭研究会にも参加して、そこでパフェ友とも知り合ったのだった。それは箱庭研究会の時に話そう。
カウンセリングセンターのおかげで人間関係が広がったし、それ以前ほど人間関係に苦手意識がなくなってきた。そればかりか、普通に人として接してもらえていることから、僕はこれで普通の人間の仲間になれたかのような意識を覚えた。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)