12年目コラム(76):僕の歴史・概略

 

 今回は僕のこれまでの歴史を簡単に述べようと思う。今後、僕が体験したいくつものエピソードを綴っていくつもりなんだけど、その際に、それが僕のいつの時代のことなのかをも示そうと思う。そのためには、僕のこれまでをいくつかの時代区分に分け、それを共有してもらえると、読んでくれている人にも興味を持ってもらえそうに思うのだ。

 

 僕は昭和46年、寺戸家の次男として生まれた。3歳半年上の兄がすでにいた。当時、両親と祖母という人がいたが、僕は祖母に関する記憶を持っていない。

 祖母の死とともに、僕は保育園に預けられるようになった。小学校に入るまでのこの時期を「保育園時代」と呼ぼう。

 

 小学校に入る。6年間通ったわけだけど、これは前半と後半に分ける。

 小学校3年までを「小学前期」と呼ぼう。この頃までに、僕はありとあらゆる「心の病」を呈した。僕にとって最初の危機的時代だった。いずれ詳しく述べるだろう。

 4年生から6年生までを「小学後期」と呼ぼう。この時代、「心の病」は潜伏期に入って、以前ほど激しい「症状」は示さなくなった。その代り、僕は「死」というものをひどく考え込むようになった。4年生の時からだ。

 あの頃、死について考えたことは、今でも僕の中で役立っている。それもいずれは取り上げることにしよう。また、この時代に、現在まで続く趣味を僕は獲得する。洋楽をはじめ、音楽を聴くようになったのもこの時代からだ。そして、もう一つは読書である。最初は歴史の本を読んでいたけど、やがて推理小説を読むようになる。推理小説に関しても、いつか書いてみようと思う。

 

 それから中学校に入る。これはそのまま「中学時代」と呼ぼう。あまりパットしない中学生だった。陸上部に入るけど、成績は残せず、かろうじて駅伝で府下大会まで行ったくらいである。勉強の方もさっぱりだし、どちらかと言うと、いじめられっ子だった。

 

 続いて、高校に行く。「高校時代」と呼ぼう。恐らく、僕の人生で一番頑張れた時代だった。楽しい思い出はほとんど得ることはなかったけど、陸上と勉強にあれほど打ち込めたのは、今では信じられないくらいだ。

 

 現役で大学に合格する。「大学時代」と呼ぶ。

 大学は、最初のうちこそよかったけど、僕にとって2度目の危機を経験する。僕にとっては一番つらかった時代かもしれない。

 この時代に、僕は心理学と出会い、フロイトも読む。そして、カウンセリングを経験したのもこの時代だ。

 大学は、恥ずかしい話だけど、5年間在籍して、中退したのだ。父はいまだにそれを根に持っているようだ。

 一度、留年をするのだ。一学年下のクラスに僕は入った。でも、そこでNさんに出会ったことは、何事にも代えがたい経験だった。Nさんは僕の人生を変えた。あの時、Nさんに会うことがなければ、今の僕はなかっただろうと思う。

 また、Nさんとのことがあったので、僕はカウンセリングを受ける決意をしたのだ。クリニックに通う。そこで、N先生に出会う。NさんにN先生と、ややこしいかもしれないけど、この二人は今の僕を形成するのにとても影響のあった人たちだ。

 

 さて、大学時代から、別の次元での時代区分が始まる。

 大学時代に、僕はカウンセリングの勉強を始める。これを「カウンセリングセンター時代」と呼ぼう。これは7年間続いた。

 

 大学を中退した僕は、そのままN先生のクリニックに雇われる。N先生の方から「ウチで経験を積むといい」と言ってくれたのだ。その後、N先生とは別れることになったのだけど、僕のことを一番高く買ってくれたのはこのN先生だけだった。

 そういうわけで、「クリニック時代」が、大学時代に続く。平行して「カウンセリングセンター時代」が継続している。

「クリニック時代」は3年間ほど続く。

 

 クリニックを解雇された僕は、その後、アルバイトで食いつないだ。これを「アルバイト時代」と呼ぶことにするが、これは実に7年も続いた。

 この「アルバイト時代」の途中まで、「カウンセリングセンター時代」が続き、その後、「教育分析時代」に突入する。この「教育分析時代」がどこまで続いたかを明確にすることが難しいのだけど、高槻で開業するまでは続いた。

 また、この「アルバイト時代」に、僕は大学をやり直す。放送大学に通うようになる。つまり「放送大学時代」が始められる。

 

 「アルバイト時代」「教育分析時代」を終えて、高槻で開業する。開業後の数年は「放送大学時代」と重なるのであるが、大学もなんとか卒業できた。

 以後、高槻で開業して12年になる。現在に至っているわけだ。

 

 まとめておこう。

 保育園時代―小学前期―小学後期―中学時代―高校時代と、ここまでの流れは問題はないと思う。大学以降は二つの軸で展開している。

 一つは大学時代―クリニック時代―アルバイト時代―開業という軸である。仕事を軸に据えた流れである。

 もう一つは、カウンセリングセンター時代―教育分析時代―放送大学時代という軸である。これは学業を軸に据えた流れである。

 なお、僕の経験することには、必ず他者の存在がある。僕が孤立して生きていない以上、どうしても他者が僕の話に登場する。この人たちは今でもどこかで生きている人たちだ。彼らの迷惑になるようなことを僕はしたくない。どんなエピソードを僕が語るとしても、決して、その人たちを傷つけたりする意図など持ち合わせてはいないということは信じてほしいと思う。

 基本的に、個人名や会社名、学校名などは記さないようにするつもりだけど、記す場合にはすべてイニシャルで表記する。

 語られることは、すべて僕の記憶にあることである。客観的な現実とは食い違う個所もあるかもしれない。記憶は、主観的なものであるし、それに脚色されてしまっている場合もある。今現在の僕にある記憶を綴ることになるだろう。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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