12年目コラム(75):カウンセラーへの道

 経歴詐称がブームのようだ。僕も一つ経歴を詐称しようかとも思ったが、詐称したところで、すぐにバレると思い、断念する。どう見ても、僕がそんなに立派な経歴の持ち主じゃないということが、すぐに分かってしまうだろう。

 経歴詐称がまかり通るのは、人が正しく見られていない、評価されていないことの証拠である。経歴だけで通用するためである。ある人がどんな人であるかではなく、どんな経歴の持ち主かということだけで人間が評価されるからである。そして、これは詐称される側である我々の堕落である。

 あるクライアントを僕は思い出す。その人は来るなり、僕のことをいろいろ訊き始めた。僕は頭にきて、あなたは一体何をやっているのですかと問い詰めた。その人は、カウンセラーを探しているのだと答える。

 この人は、あまり知恵のない著者の本を参照していた。その本によると、カウンセラー選びのポイントとして、資格を有していること、学会に属していること、著作があることなどを挙げていた。

 僕からも著者に伺いたい。その条件を満たす人はどういう人なのかと。これらの条件を満たす人は、まずカウンセリングなんてやらないのだ。指導者の立場になっているはずである。クライアントが会うのは、この人の指導の下で働くカウンセラーたちであって、この条件を満たすその人のカウンセリングが受けられることなんて、まずないのである。

 それでカウンセラー探しをやっていたそのクライアントであるが、はっきり言えば、こんな間違った本に従って探している限り、永遠にカウンセラーを探し続けることになるだろう。

 これは本当は簡単に解決できることである。その人がカウンセラーとしての僕を信用するかしないかだけなのだ。そこをはっきりせいっ!と一喝したいくらいだった。ところが、その人は自分に関する選択決断を回避し、すべて本の言うとおりにしようとしていたわけである。

 したがって、この人のカウンセラー探しは、それ自体、この人の「症状」なのである。

 このような人はけっこう極端なものだけど、やはり同種のことをされる方もおられる。その人のための貴重な時間が、僕の経歴の探査に費やされるのだ。はっきり言って、これほどバカなことはない。

 それで、もうこんなバカことは縁を切りたいと思うので、僕は僕の経歴をここで綴るわけである。

 さて、僕はこれから自分の経歴を述べようと思うのだけど、証拠を提示しなければ、詐称と思われてしまう。そこで、証拠として残されているものを中心に述べていこうと思う。僕がいかにして今のようなカウンセラーになったかを綴ろうと思う。

 尚、証拠物件に関しては、個人名が記載されている場合、そこは塗りつぶすことにする。他の誰にも迷惑をかけたくはないと思うからだ。そうして僕は僕の証拠を提示するが、それでも信用できないとか、その証書が本物かどうかを疑うなら、実物をお目にかけるから、僕の所に来ればいい。遠くから小石を投げるような真似をせんと、僕に面と向かって証拠を求めたらいい。

 あと、証書を提示するのは構わないけど、それだけでは僕がつまらないので、その時の思い出や学んだことなんかも書いておきたいと思う。多少、僕の方でそういう楽しみがないと、僕の経歴を知りたがる彼らのためにする作業になってしまう。それでは面白くないし、何だか癪にさわるのである。

 現在の僕は、生まれてから現在まで連綿と継続する時間のすべてを含んでいる。本当なら、僕の誕生から経歴を綴らなければならない。ただ、それをすることはとても大変なので、どこかで任意に人生を区切り、そこから始めなければ成らない。

一応、僕が心理学を学び始めた時期、18歳頃から始めようと思う。ただし、それ以前、18歳以前の出来事がその背景としてあるのだということだけは、お忘れにならないようにお願いしたく思います。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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