12年目コラム(51):出会った人たち~肩書き

 開業して、僕は自分の名刺を作った。その時、僕の名前の横に何らかの肩書きを入れる必要に迫られた。僕は「臨床心理相談員」と、その場で思いついた肩書きを載せてもらうことにした。12年目を迎えた今もその名刺を使用している。
 普通にカウンセラーとか心理カウンセラーとか、○○協会認定心理士などと書いてもよかったのだけど、どうもそれはつまらないと思っていた。別に肩書きなんてものに拘るわけではないけど、できれば漢字で、しかも3,5,7文字のいずれかにしたいと思った。
 「臨床心理士」だと漢字5文字だ。これはなかなかいいとは感じる。でも、僕は敢えて7文字にしてやれとばかりに「臨床心理相談員」としておいたのだ。妙なところで対抗意識が燃え上がったのだった。まあ、名刺に載せてある僕の肩書きなんぞ、誰が見るかと、僕はそう思っている。

 カウンセラーの中には自分で肩書き、というか一つのキャッチコピーのようなものを自分に付ける人もある。それはそれでその人の自由なので構わないことだ。そういうのが付いている方が親しみが増すかもしれないとも思う。もっとも、僕はそんな親しみやすさは御免蒙りたい。
 かつて出会ったカウンセラーさんで、ある人は「みんなを元気にするカウンセラー」などと自分自身を謳っていた。「みんなを元気にする」か、余計なお世話だと、僕はそれを耳にした瞬間に、そう思った。
 そういう「人を○○にする」というのは、なんだか押しつけがましい感じがしないでもない。僕は好きではない。「みんなが元気になる」の方がまだ許せる。もっとも、僕はそれでもアウトだと信じているのだけど。
 と言うのは、「みんなを元気にする」なんて、絶対に不可能なことだ。こんなことを載せていると、嘘つきだと思われやしないかって、僕だったら躊躇するだろう。当然、受け取る人も、これは額面通りの意味ではなくて、そのカウンセラーの自己イメージを表現しているに過ぎないということが理解できるとは思う。でも、皆が皆、そのように理解してくれるとは限らないのだ。むしろ、そのように理解できない人がクライアントで来られることになるのだ。僕は、この「みんなを元気にする」カウンセラーさんは、ちょっと信用できないという気持ちになったし、本当に臨床の現場で働いている人だろうかと疑わしく思った。

 同じような例で、「成功に導くカウンセラー」などと名刺に載せているカウンセラーさんとも会ったことがある。
 先ほどの「みんなを元気にする」カウンセラーさんは若い男性だった。この人とは研究会で会ったのだった。会ったと言っても、その人が講演をするので、聴きに行っただけなのだが。当時、僕の友達だったカウンセラーさんがこの人のお弟子さんみたいな立場で、僕は彼女に誘われて講演を聴きに行ったのだ。僕のことを多少とも分かってくれている人なら、僕の目的がこのカウンセラーの講演にあるのではなく、この友達がお目当てだったことは言わずとも理解できるだろうと思う。
 それはさておき、二人目の「成功に導くカウンセラー」さんは若い女性の方で、これはもっとくだけた場所でお会いしたのだ。彼女は、僕も同じカウンセラーだということを知らずに名刺を渡してきたのである。
 僕はその名刺に目を落として、少し意地悪な質問をする。「この『成功』ってなんですか」と尋ねたのだ。
 彼女はそれに答えてくれた。しかし、ちょっと意外だった様子でもあった。彼女がどのように説明したのか、お酒の席でもあったので(要するに僕が酔っぱらっていたので)、正確には覚えていないけど、大体次のような意味のことなんだなと思ったのを覚えている。
 彼女の言う「成功」とは、ざっくばらんに言えば、夢とか希望とか言うものに近いようだった。従って、「成功に導く」とは「あなたの夢や希望を叶えます」と謳っているのとほぼ同義なのだ。
 しかし、これまた迷惑千万なカウンセラーだ。これではまるで、クライアントには自分の夢や希望を叶える能力が無いと頭から信じ込んでいることになるように僕には思われるからである。それに、夢や希望を叶えるかどうかはその人次第なのであって、カウンセラーが与えるものではないものだ。カウンセラーがそれを与えると言うのであれば、それこそ余計なお世話であるし、クライアントをそこまで見くびるなと反撃したくもなるというものだ。

 それにしても「みんなを元気にする」とか「人を成功に導く」とか、そんなことを肩書きに載せる人っていうのは、なんだか、万能感に囚われ過ぎているように僕には思えてならないのだ。自分にはそれだけのことがしてあげられると傲慢に豪語しているような感じを受けてしまうのだ。
 そして、多くの人は気づいていないのだ。本人たちでさえ気づいていないのだ。「みんなを元気にする」「人を成功に導く」「私が治す」「どこもダメだった人は私にお任せください」といった言葉の陰に、どれほどの憎悪感情が潜んでいるかを。それに、万能感というのは(この人たちにそれがあるとしての話だけど)、基本的に、敵意や憎悪をその背景として有していることが多いのである。
 分かりやすく言えば、世界を恨んでいるから、この世界を自分はどうにでもできると信じたいわけである。こんな肩書きを付けるカウンセラーさんたちが、本当にクライアントを人間として面接できるのだろうかと、僕は恐ろしい気持ちさえする。

 何事も耳当たりのいいキャッチコピーやPR文句、肩書きなどには、よく注意した方がいいと僕は思うようになった。そう考えると「臨床心理相談員」っていうのは、なかなか良いもののように思われてきた。僕は何も謳っていないし、PRもしていない。何もPRしないということが最善のPRなのかもしれない。そのようにも思う。
 今回は下記の記名にも肩書きを付しておこう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー<臨床心理相談員>)

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