12年目コラム(2)―<11年目の喪失>
この1年くらいはとてもしんどかった。仕事が忙しいとか、そういう意味ではなく、精神的にどこかしんどかったのだ。
僕には、おぼろげながら、その理由が分かっている。僕が開業した時、僕は最低でも10年はやろうと決意したのだ。10年、カウンセリングに携われたなら、僕はそれで本望だと、そんなふうに思っていたのだ。10年は頑張ると誓って、やってきたわけだ。そして、その10年に達してしまったのだ。僕の中で何か大きな柱が失われたような気分だった。
何がどう変わったわけでもない。10年やって、11年目はそのまま継続したという感じなんだけれど、僕の中で張り合いがなくなった感じがしていたのだ。
クライアントが来るので、面接だけはコンスタントに続けてきた。でも、どこかに以前とは違う何かを体験していた。
この違いがもっとも顕著に表れたのがこのサイトだ。このサイトを完成させようという意欲が湧かず、ブログも何とか無理をして書いた月もあれば、まったく手を付ける気にもなれなかった月もある。
その他、この目標喪失感は至る所で現れた。それまでキチンとしていたところのものが、ルーズになってきたりして、時々、自分でもこれは目に余るなと思うほどだった。
それで何度か気合を入れ直そうともしてみたけれど、やはり、喪失感だけは埋められなかった。10年続けるという目標、常に僕の未来にあった目標は、今では過ぎ去ってしまい、かつての意味合いも失われた。
僕のこれまでの人生はいつもそんな感じだった。いつも何か一つの目標のようなものを持っているのだけれど、それに到達してしまうと、何もなくなってしまうのだ。みんなはどうしてるのだろう。それに到達する前に次の目標とかを考えているのだろうか。
一つ思うのは、複数の分野でそれぞれの目標を持っていた方がいいのかなということだ。この分野での目標が到達しても、その他の分野での目標が生きているという形の方が望ましいように思う。それができないのは、典型的な「うつ病」タイプの人間ではないかと思うこともある。僕もそうなのかもしれない。
これまで、いろんな場面で、僕はそうだった。何か一つのことしか取り組めないのだ。ジャズを聴くとなればジャズばかりを聴き、ラーメンに凝るとラーメンばかり食うといった感じだ。仕事をするとなれば仕事のことしかなくなる。マルチに活動できる人が羨ましい。僕はそれほど器用には生きられない。
このサイトもそうだ。何か一つのテーマに夢中になる。そればかりに取り組む。それまでに取り組んでいたテーマは、初めのうちは意識にあるけれど、その内、それも失せてしまい、中途で途絶えたままになる。さらにその次のテーマに夢中になると、その前の前に夢中になっていたテーマなんて、さらに意識からはみ出してしまう。こうして中途挫折しているテーマがいくつあるだろうか。
これは、ある意味、完全主義なのだ。僕の強迫的な傾向なのだ。おかしなもので、自分が完全主義的であると、他の人の完全主義の部分がよく見えるのだ。
最近も面白い体験をした。ある人がある会合に出席するたびに、手土産として、お菓子を買って、持参していたのだ。毎回、それをしてしまうのだ。止めようとは思うのだけれど、やってしまうのだと言う。会場に行く前にお店に入って、今日は何人くらい参加しているのかなと考え、目安で買っていくのだそうだ。参加者が多くてお菓子が足りなかったりすると、何だか罪悪感のようなものを覚えるらしい。そういう話をしてくれた人がいたのだ。
ところで、この人のどこがもっとも完全主義的であるかが分かるだろうか。毎回、手土産を買ってしまうというのもそうかもしれないけれど、もっとも完全主義的なのは、今日、何人くらい参加者があるだろうかと考えている部分である。僕はそう思う。
手土産みたいなものは、別に頼まれているわけでもなければ、足りなければ足りないで構わないようなものではないか。でも、彼は「自分の手土産が全員に行き渡らないといけない」と思い込んでいるようだ。しかも、参加人数を知らされていないのだから、余る時もあれば足りない時が生じても当然なのだけれど、彼はそれでは許されないのだ。彼はそこを無理矢理にでも推測して、人数分を買わなければいけないと信じ込んでしまっているのだ。この無理矢理感が完全主義的なのだ。
完全主義の基本は、物事を完全にすることではなくて、できないこと、無理なことを完全にしないといけないって信じているところにあるのだ。完全主義的でない人は、案外、そこのところが分からないようだ。
あまり内容もまとまらないまま、ダラダラと書いているな。僕の悪いクセだ。
この12年目コラムも、もし、僕がこれに夢中になれたとしたら、少なくとも1年間の目標になりうる。そんな期待も込められている。誰からも読んでもらえなくても構わないし、読者からすると意味不明であっても構わない。とにかく、これを1年続けるということで、僕自身の張り合いにしたいのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)