12年目コラム(24):意味論(4)

 言葉にしても、仕草や行為にしても、それぞれ意味がある。出来事にも個人的な意味がある。その意味は当人にも理解できていない場合もあるし、理解するのが難しいものもあるだろう。
 そうした意味を考えていくということは、それに対して象徴的に理解するということでもある。意味とは象徴である。鳩は平和の象徴だと言う時、その鳩は平和を意味しているということになる。
 ただ、注意も必要だ。すべてが象徴的意味合いを持つとは言えないし、いきなり象徴的に解釈するのも控える必要がある。現象そのものに取り組んで、しかる後に象徴的意味合いを考えてみるように僕はしている。

 あるクライアントは入室するなり「ここは焼き肉の匂いがする」と言った。もちろん、焼肉屋さんが近所にあるわけでもなく、僕も焼肉を食べたというわけではない。彼が「焼き肉の匂いがする」と言った時、彼が本当に言いたかったことは「ここへは身(肉)を焼かれるような思いで来た」ということなのだと思う。これは一つの象徴的理解の例である。
 ただ、僕の経験では、ここでいきなり「あなたは身を焼かれるような思いで来たのですね」と返すのも良くないということだ。僕はそれを随分学んだように思う。これが良くないかどうかは、相手にもよるのだけれど、自分の心の中が見透かされてしまっているかのような体験になってしまうからである。この体験がとても苦しいという人もあるのだ。
 だから、まずは「そう、焼き肉の匂いがするんですね」と、その言葉通りのものを受け取り、返さないといけない。でも、僕の中ではこの人は相当恐れているということを知っていないといけない。だから、その後に、「大丈夫ですよ、ここではお肉を焼いたりはしていないから」と言う方が良いわけだし、機会を見つけてはこの人に安心を与えるようにしなければならなくなる。象徴的な解釈は、それが図星であればあるほど、相手に衝撃を与えてしまうものだから、できるだけ控え目に行う方が良い。

 こういうことを言うのにはわけがあって、しばしば、こういう象徴的な理解を一方的に与えてしまう人がおられるからである。ユング心理学をかじった人とか、初学者なんかでこういうことをしてしまう人がいる。かく言う僕自身、過去にはそういうことをした経験がある。
 僕が大学生の頃だった。TATの勉強をしていると、僕を見つけた友達が興味を持って訊いてきた。僕はTATの図版を見せて、この絵を見て物語を作るというテストだと説明し、友達に試してみた。
 彼女はそれで物語を作った。そこで終わっていたら良かったのに、僕は彼女に「君は兄弟に嫉妬しているね」などと言ってしまった。兄弟に関する物語ではなかったけど、その物語を象徴的に読んでみると、そうなったのだ。そして、それは図星だった。僕は彼女に兄弟がいることさえ知らなかったのに、いきなりそういう解釈を投与してしまったのだ。僕は彼女をひどく悲しませてしまった。

 象徴的な意味を投与してしまうことより、さらに多いのは、象徴性が理解できないという人たちだ。
 この人たちは、例えば、小さな子供のしていることの意味がよく分からないのだ。だから、子育てでとても苦労してしまうようだ。
 夫婦関係でもそれがある。相手の言動を何かの象徴性として見ることができないので、表面的な部分でしか理解できないのだ。相手から何かを言われたという場面でも、相手がどういうことを言おうとしていたのかに関してはまったく考えることができないのだ。字面通りのことしか、額面通りのことしか受け取れないし、理解できないようだ。だからと言いましょうか、この人たちはそれ以前から人間関係で苦労してきたという人も少なくないように思う。

 発言の意味、行為や仕草の意味、象徴的な意味など、意味を考えていくということは、相手を理解することにつながる。相手を理解するとは、相手の言葉ややっていることの意味を知ることだと言ってもいいと思う。

文責寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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