12年目コラム(21):意味論(1)~因果律を超えて

 大学時代は英語を勉強していた。今はすっかり忘れてしまっているけど。
 語学の中には「意味論」とよばれる研究領域がある。意味論の中にもさまざまな研究領域があるのだけど、その中に、いわば「文の形式による意味の違い」といった分野がある。それはこういうものである。

 僕は受験英語で次のような文をよく見たものだ。

To get up early is good for health
  = It is good for health to get up early

 見覚えのある方もおられるだろう。これは「to不定詞」を主語に置くか、仮主語Itを置くかの違いで、文章としては同じ意味内容になるということだ。
 しかし、意味論においては、両者は「イコール」では結べないのだ。
 何が違うのかと言うと、強調点が異なるのだ。前者では「To get up early」が強調されているのに対し、後者の文では「good for health」の部分にアクセントが置かれているという違いだったと思う。僕の記憶もあやふやだけど、そういう違いがあるというのを習ったような気がする。
 従って、これは文章の意味内容としてはイコールであり得るかもしれないが、受け取る人にとっては必ずしも同じ意味合いを有さないということになる。不定詞主語の方では「早起きの利点」を聴いているのに対し、仮主語の文では「健康法に関すること」を聴いていることになる。
 また、同じように、これを発言する人にも注意が求められる。相手に早起きしてほしいと思うのであれば、前者で言うのが適しているだろうと思う。相手により健康になってほしいとか、健康に注意してほしいと願う場合、後者の文体で伝える方がより適っているだろうと思う。
 これを間違えると誤解が生じる。相手に早起きしてほしいと願いながら、後者の文で言ってしまうという例を考えてみよう。そう伝えてみたけれど、相変わらず相手は早起きしない。こちらは早起きの利点を言ったはずだと思う。でも、相手はそれを聞いた覚えがないということになる。それどころか、相手が聴いたのは健康法であって、早起きの利点ではなかったと主張するかもしれない。
 この二つの文を日本語で表すとどうなるだろう。前者、つまり不定詞主語の方は「早起きは健康にいい」、乃至は、「早起きが健康にいい」といった文章になるだろう。後者の仮主語を置いた文章は、さしずめ「早起きも健康にいい」といった感じになるだろうか。「は(が)」と「も」と、助詞が一字異なるだけで、伝わる内容は異なってくるということだ。
 こうして考えると、自分の使う言葉は正確でなければいけないと思ってしまう。言葉をしっかり勉強して、自分の伝えたいことと文章とが一致しないといけないと考えてしまう。確かに必要なことだと思うが、完全には遂行できないだろうとも思っている。
 でも、安心してよい。誤解は解くことができるからだ。「僕はああいう意味で言ったのだけど、君はこういう意味で受け取ったんだね」で、または、「僕の言ったことは確かにこういう意味に聞こえるよね。それは悪かった。本当はああいう意味のことを伝えたかったのだ」で、それで済むことも少なくない。
 人は何かを他者に伝えるけど、常にそれが正しく伝わっているとは限らないものだ。僕もイヤというほど経験した覚えがある。まったく違った意味合いのことを相手が受け取っていたりするのだ。相手の方に理解困難な何かがあったかもしれないが、同じくらい、僕の方にも伝達の拙さがあっただろうと思う。だから、それは常に勉強していかないといけないことだと思うのだ。

 ところで、どうして「意味論」の話になったかと言うと、それが「因果律」を超える視点を提供してくれるからである。これはその後に取り上げようと思うのだが、僕たちは「目的論」についても目を向けていく必要がある。「意味と目的」、そのどちらもが重要だからである。まずは「意味論」を少し見ていこう。

文責寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

PAGE TOP