12年目コラム(12):3-4-3の法則

 自分の中にあるサディスティックな傾向や衝動を意識できること、そして、過剰な自己愛から解放されていること、これは援助者の「資格」の一つだと僕は考えている。
 過剰な自己愛というのは、つまり、万能感とか全能感といった感情で現れるものである。また、過度な承認欲求などで現れるものである。これらから解放されていることだが、これはなかなか難しいと僕には思える。少なくとも、僕の場合、これは難しい課題だった。
 クライアントが来てくれたけど、やはり上手く行かなかった人というのも少なからずおられる。その時、いつも自分の不甲斐なさに落ち込んでいたけど、これこそ過剰な自己愛に他ならなかったのだ。

 今では、「3-4-3の法則」というものを自然に受け入れている。これは他のところでもしばしば言及していることだけど、要するに、出会う人は三つのグループに分かれるということだ。
 最初のグループは、僕と会って、僕を好いてくれて信用してくれる人だ。これをグループAと呼ぼう。これに属する人が3割ある。次に、中間層の人たちがいる。僕に対して好悪がない人たちで、グループBとしておくが、ここに属する人が4割いる。最後にグループCであるが、これは明らかに僕を嫌悪する人たちだ。ここに属する人も3割ほどいる。
 10人の人に会ったら、3人は僕を好きになってくれるし、4人は好きでも嫌いでもないという感じになるし、あとの3人は僕を嫌う。けっこう、この割合が該当するように思う。
 初期の頃は、僕は10人全員に好かれ、信用されなければならないなどと、どこかで信じていた。でも、それこそ自己愛なのだ。
 よく考えると、僕の方でも同じことが生じる。10人中3人はすぐに好きになるし、好感を持つ。4人はどっちつかずだったり、あまり印象にのこらなかったりする。後の3人は、苦手意識が生じたり、好きになれないと感じてしまう。
 僕はこのグループCの人たちに対して、すごく働きかけてきたように思う。この人たちと上手くやっていけないようではダメだと信じていたところがある。今はそれが間違っていることに思い至っている。グループCの人たちの間違いではなくて(公平に見ればそれもあるのだけど)、僕の中にある間違いだったのだ。
 結局のところ、グループBに働きかけるのが一番良かったのだ。この人たちは潜在的にグループAに属し、同時にグループCに属しているのだ。両方に属しているから、どっちつかずなのだ。この人たちにいかにしてグループAになってもらうかを考える方が適切だったのだ。
 また、同じくらい大切だったことは、グループCの嫌悪度を小さくしてあげることだ。それも必要だったと思う。「大嫌い」よりも、「好きにはなれんが悪い人間ではなさそうだ」くらいに小さくしておくことが大切なことだった。憎悪(これはこの人の中にあるものだが)をただ引き出しただけの結果に終わった、そういう苦い経験を幾度しただろうか。この人たちは僕を憎悪しているだろうけど、僕自身は、この人たちのことで心休まることはなくなってしまった。いつも、どこかでこのグループの人たちの姿がまとわりついていて、生涯、これを持ち続けることになるのだろうと思う。

 今、僕が強く意識していることは、僕はグループAの人たちのために生きようということだ。どうしてもグループCの人たちは現れるものであり、それは避けられないのだ。その人たちをどうこうしようというのが、僕のサディスティックで過剰な自己愛なのだ。どうにもならないことは断念した方がましだ。グループCの人たちも、僕とは上手くいかなかったが、他の臨床家となら上手くいくかもしれない。僕に引き留めておくより、その方がいいかもしれないし、その可能性を潰すことはさすがにしたくないと思うようになった。
 こんなことを書いているのは僕にとってマイナスかもしれない。これから受けようと思う人にとってみれば、「自分はグループAに入るだろうか、グループCに入ってしまうのじゃないか」とか、いろいろ心配される方も出てくるかもしれない。仮に、あなたがグループCに属することになったとしても、あなたが心配するほど重大なことではないかもしれない。あなたは他に上手くやっていけそうな臨床家を探すことだってできるし、もし、そういう人が現れた時に僕が足枷になることもないだろう。

 しかしながら、振り返ると、僕もけっこうそういうことをしてきたように思う。そのおかげか、あまり失敗もしてこなかったように思う。その辺りのエピソードもいずれ紹介できればと思う。

文責寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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