9月9日(木):キネマ館~『パーティー』
ピーター・セラーズが好きだ。この人が出演しているというだけでその映画を観てしまうほどだ。
ただ、ブレーク・エドワーズ監督と組んだ作品でまともに鑑賞できるのは『ピンクの豹』だけだ。続編の『暗闇でドッキリ』なんぞは、最後は容疑者が全員死んで事件がウヤムヤになって一件落着というブラックなオチだ。その後の「ピンクパンサー」シリーズも、セラーズの魅力がなければ見るに耐えない代物である(あくまで僕の個人的感想である)。
本作もブレーク・エドワーズ監督とのコンビであるが、う~ん、やはり微妙だ。面白いことは面白いんだけれど、全体としてどうかなという気持ちになる。もちろん、ピーター・セラーズはサイコ―であるが。
ピーター・セラーズが演じるのはバクシというインド人俳優。俳優といってもチョイ役しか回ってこない。というのも、この俳優がひどくドジだからである。NGばかり出す上に、うっかりセットを爆破させてしまうのだ。
監督はバクシを解雇することをプロデューサーに連絡する。プロデューサーはバクシの名をメモに書き記す。ところが、それはメモ用紙ではなくて、パーティー出席者の名簿の余白であった。それを見た秘書はバクシにもパーティーの招待状を送付してしまう。招待状を受け取ったバクシは、自分がパーティーに招待されたものと信じ、オンボロのクラシックカーを走らせて会場に到着する。
ここから後は、ラストを除き、すべてパーティー会場が舞台で、そこでの一夜が描かれる。セラーズがドジを踏んで、てんやわんやになる姿が面白い。
いや、セラーズ以上に危険な人間がいる。給仕である。この給仕はお酒を勧めるのだけど、セラーズは断る。その都度、給仕自らがその酒を飲むのである。おそらく、そのまま持って帰ったらシェフに首を絞められてしまうのだろう。
食事となる。ここでピーター・セラーズがどんな滑稽なドジをやらかすかということ以上に、このヘベレケになった給仕から目が離せない。それこそ何をやらかすか知れたものではないのだ。危なっかしすぎて、ある意味ではスリル満点だ。
食後もパーティーは続く。もともと招待されたわけではないので、バクシは誰の輪にも入れない。西部劇スターと仲良くなるものの、この華やかな会場で彼は孤独であり、異邦人である。そんな孤独な人間をセラーズが演じるかというと、とんでもない。パーティーの席上でありがちな厄介事がバクシを襲う。催してくるのである。
不自然な姿勢(むしろ自然な姿勢か)でトイレを探し回るバクシ。二階にようやくトイレを見つけて用を足したものの、そのトイレが壊れているのだ。直そうとして奮闘するも、被害をますます大きくするばかり。だんだんピーター・セラーズの破壊力が本領発揮してくるわけだ。
奮闘の末、二階の張り出し屋根からプールに滑り落ちてしまうバクシ。溺れる彼を見てもみんな無関心だ。西部劇スターなどは皆を楽しませようとしてやっているのだなどと評価する始末。そこへプールに飛び込んで助けたのが若き女優のミシェルだった。
騒ぎが一段落着く。部屋で独り泣くミシェル。彼女はエージェントかなんかのお偉いさんの同伴で来ていたのだ。彼女は彼をエスコートしなければならないのに、彼を放ったらかしにしてバクシを助けたものだから、お偉いさんはカンカンとなりミシェルに見切りをつける。彼女の女優人生はそこで終わってしまったのだ。
悲しんでいるミシェルを意味不明の格言で慰めるバクシ。本作ではこのくだりが一番いい。バクシのおかげで機嫌を直すミシェル。二人はパーティーを最後まで楽しもうと決める。
その頃、パーティー会場では主催者の娘が若者の一団とともに入ってきていた。反戦運動をしている若者たちで、ゾウを連れている。このゾウには反戦のスローガンなどでペイントされている。インド人バクシはそれをみて憤慨し、すぐにゾウを洗えと先導する。いつしかパーティーの中心人物のようになっているバクシが面白いのだけれど、それを違和感なく見ることができるのが不思議だ。
若者たちは石鹸とモップでゾウを洗う。プールは泡だらけだ。そして、どういうわけか知らないが、泡がどんどん膨らんでいき、パーティー会場を埋めていく。
それでもパーティーは続く。泡だらけの中でミュージシャンは演奏する。ローリングストーンズが泡の中でイッツ・オンリー・ロックンロールを歌う映像を見たことがあるけど、本作がその元ネタなのかとも思った。
泡まみれの中でパーティーを楽しむ面々。主催者であるプロデューサーは貴重な絵画を救出しようとするが、なんともあさましい姿である。そして、泡の中でもあの酔っ払い給仕がお酒を運ぶのが面白い。そして、酔っ払いの女性となぜかキスするという、呑兵衛あるあるなんだけれど、なんでやねんとツッコミたくなるそんなシーンも面白い。
バクシとミシェルは会場を後へ。もう朝になっている。バクシのオンボロクラシックカーで彼女の家まで送る。パーティーの賑やかさとは対照的だ。静かに二人は分かれる。また来週あたり会うんだろうなと思わせつつ、静かな余韻を残してエンド。
意外と面白かった。ピーター・セラーズが本当にインド人に見える上に、一つ一つの動きや言い回しも面白い。
そして、酔っ払い給仕の破壊力もハンパない。何度もシェフから首を絞められる役柄だが、最後の方は画面に登場するだけでおかしくなってくる。
西部劇スターは、無骨だけど気前もよく、人の良さがある。良きアメリカ人を象徴するかのよう。それに比べるとプロデューサーとかは悪いアメリカ人のイメージを連想させてしまう。ビジネスマンで拝金主義といった感じだ。
作品の大部分はパーティー場面である。このパーティー会場はハリウッドの縮図である。その世界で生きること、成功することがどういうことなのか、このパーティー会場ですべて描かれているようだ。そのためには権力者や有力者にすり寄らなければならず、一旦すり寄ったら何があっても最後まですり寄り続けなければならないのだ。困っている人がいても見て見ぬふりをしなければならないのだ。そういう世界であるように思う。そして最後はシャボンだらけになるんだけれど、それもあぶく銭で成り立っている世界であると皮肉っているよう。
そんな世界なので、溺れているバクシを助けるミシェルも、落ち込んでいるミシェルを慰めるバクシも、そういうことをしている人はこの世界では成功しないのである。でも、この二人の方がはるかに人間的に見える。人間的な人をもう一人付け加えるならあの酔っ払い給仕を入れてもいい。この二人(三人)がともかく魅力的に見えてくる。
音楽にも触れておこう。ヘンリー・マンシーニに手による。「ピンクの豹」で使われた「It had better be tonight」(とかいうタイトルだったと思う)も流れるので、他の映画で使用された曲も使用されているのかも。そういうのを探しながら鑑賞するのも楽しいかもしれないな。ミシェルがギターの弾き語りで歌う曲も優しい雰囲気があって素敵だし、パーティーシーンのラストで歌われるノリのいいダンス曲もよろしい。音楽はグッドである。
さて、本作の唯我独断的評価だけれど、4つ星半を進呈しよう。ブレーク・エドワーズとピーター・セラーズのコンビは『ピンクの豹』だけだと信じていたけれど、これに『パーティー』も加えよう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)