9月8日(水):キネマ館~『ピラナコンダ』
ピラナコンダとは、ピラニアのような凶暴性を持ったアナコンダということである。要するに巨大なヘビのモンスターということである。合体系のモンスターかと思いきや、純粋にヘビである。目の辺りがちょっと可愛らしい。
舞台はハワイ諸島。リゾートのような場所ではなく、人があまり訪れない密林とか僻地である。そこにヘリコプターが一機、着陸する。20年来ピラナコンダを追いかけてきた爬虫類学者がその卵を見つけ、持ち帰る。そこにピラナコンダが現れ、クルーたちをパックンする。パイロットはヘリで逃げようとするも、鎌首を持ち上げたピラナコンダにパックンされる。教授はなんとかその場から逃げ延びるが、廃工場をアジトにする傭兵くずれのギャング団の人質となる。
同じころ、B級映画のロケ撮影が行われている。そのスタッフやキャストのスタントマンらが本作の主人公である。すでにスタッフがパックンされている。製作費が下りないということで撮影は打ち切りに。帰路につく道中、彼らも例のギャング団につかまり、人質となる。
スタントマンと火薬スタッフはギャング団から逃亡する。彼ら二人は廃工場を見つけ、そこにスタッフたちが人質になっているのを知り、仲間の救出に向かう。その救出劇のさなかにまたもやピラナコンダが現れ次々にパックンしていく。
ギャング団からもピラナコンダからも逃走する主人公たち。ピラナコンダが執拗に追いかけてくる。主人公たち、ギャング団、ピラナコンダの三つ巴の戦いが展開される。
それにしても、こういう映画は誰がいつの間に作成するのだろう。不思議だ。
ピラナコンダはすべてCGである。俳優の動きとCGとがかみ合っていないような箇所もあるし、ピラナコンダの姿が見えないとおかしい場面でその姿が見えなかったりする(ピラナコンダに追われているシーンなど)。CG合成をし忘れたか。なんともズサンさを感じてしまう。
チープなセリフにキャラ設定(おバカな女優とカップルなど)、感情移入できない登場人物たち、安直な演出(ピラナコンダが人を襲うと画面が赤っぽくなるなど)それに特に捻りもない結末、安っぽいロック音楽、見事にB級作品である。
凶暴な動物やモンスターが人間を襲い、人間がそれと戦うといったモチーフの映画を、僕は「サメ系」と括っている。サメ系映画でも、これは「いきなりパックン」系の一本である。いきなり現れては人間をパックンと食いつくす、そういう系の作品だ。
教授と一緒に来たパイロットやクルーたち、泳ぎに来た女性、珍しい蘭を採取しに来た女性三人組、映画のスタッフ、ギャング団の面々、あのバカップルっぽいカップル二人もいたな。みんなピラナコンダにパックンされてしまう。正直に言って、これの何が面白いのか自分でもよう分からんのだ。
何が面白いのか自分でも分からないのに、こういう「いきなりパックン」系の映画を観たくなる時があるから困ったものだ。
人口が過密なところでは人がバタバタ殺されるような映画がウケるらしい。アルベルト・モラヴィアさんもそのような意味のことを言っていたけれど、僕は頷ける気がする。僕もそうだ。心の中が人のことで騒がしい時にこういう映画を観たくなるようだ。心の中にたくさんの人が密集しているような状態の時だ。その人たちは一旦は心の中から追い出したいのに、それがどうも上手くできない時なんかに「いきなりパックン系」の映画が見たくなるというわけだ。
もちろん、戦争映画とかマカロニウエスタンとかでもいいのだけれど、そこでは人間が
死ぬ(もちろん演技だ)場面が出てくる。「いきなりパックン」系は、パックンされて「居なくなる」という場面が多いのである。そこに人がいたのに、パックンされて無人になるという描写である。どうもそういう描写が今の自分に適しているように思えるのだ。心の中を騒がしくしている人たちを殺したいとかいうわけではなく、ちょっとの間「居なくなって」ほしいという気持ちが強いように思う。
僕の個人的感情は別として、本作はやはり低予算のB級映画だ。僕の唯我独断的評価は2つ星半だ。やっぱりくだらん。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)