9月4日:プレイセラピーやってますか

9月4日(金):プレイセラピーやってますか

 

 問い合わせの電話があった。そちらはプレイセラピーやってますかというものだ。ああ、またこの種のくだらない問い合わせか。ウチのサイトを見ればそんなことすぐわかるだろうに、なんでいちいちそんなことを問い合わせてくるんだ。アタマにくる。

 

 おそらく母親だろう。プレイセラピーを求めるということは子供に何かが起きていて、尚且つ、年齢も低いだろう。小学生の低学年くらいまでの年齢だろう。

 子供にどういうことが起こっているのかは不明であるが、母親は子供の問題に苦悩しているのだろう。この子にはプレイセラピーがいいと母親は判断している。その判断の根拠が何なのかも不明である。それで母親はプレイルームを完備している機関を探し始める。僕は賭けてもいいのだけれど、この母親は永遠にそれをし続ける。

 

 子供のことを問い合わせてくる人の場合、いくつかの言い方がある。子どもをみてもらえるでしょうかというものや、子供のカウンセリングをやってくれますかとか、そういう表現もよくある。これらの表現と「プレイセラピーやってますか」という表現と何が違うか。それを考えると自ずと答えが見えてくる。

 主体の相違とか、子供に対する感情の違いとか、いくつかの違いが目につくのだけれど、今はそこを掘り下げず、前に進めよう。一つだけ簡潔に言えば、プレイセラピーやってますかと問いあわせる母親は、それをすることによって子供を突き放しているのである。これは子供の問題であり、子供の問題だから子供のためのセラピーが必要であるということであり、その問題に関して自分(母親)は関係が無いとみなしているのである。

 しかしながら、その子供が母親に反応しているのであれば、母親がその態度を維持する限り、どんな治療法を試みても子供はその状態に留まり続けることになる。

 この母親たちには自分がカウンセリングを受けるという発想を持たない。自分には何らかの援助が必要であると母親は感じていることも多い。しかし、その援助が心理的なものであるとなると、この母親は途端に嫌悪と拒否を示す。問題があるのは子供の方なので、治療は子供が受けるべきで、自分は蚊帳の外に出て傍観者を決め込むわけだ。

 なぜこんなふうに問題があるのは子供の方で自分ではないという態度が生まれるのか。これは逆の場合もある。親に問題があるから親が治るべきだと考える子供もある。夫婦の間でもこういうことが起きる。問題があるのは夫のほうなのにどうして自分が治療を受けないといけないのだと訴えるDV被害者側の妻などである。すべて幼稚なのである。

 これはスプリッティングと呼ばれる防衛機制である。原始的防衛機制の一つとされているもので、人格障害圏の人はこれを多用するということである。神経症圏の人の場合、もう少し発達した防衛機制を多用するわけだ。

 この母親は子供をスプリッティングすることによって、子供に問題があって自分ではないという形で自己の安定を保っているのだ。そこで、母親もカウンセリングを受けたらどうですかなどと勧めると、この安定が脅かされることになり、場合によっては、激しい攻撃的反応が返ってくることもある。僕がそういうことを言って母親を激怒させたとしよう。その後、どうなるか。母親は自分の要求に応じてくれるカウンセラーを探すことができたとしよう。そこで、彼女はこう言うわけだ。「あなたは素晴らしいカウンセラーです。それに引き換え、高槻のヘンコなカウンセラーはどうしようもないクズ野郎だった」と。なんてことはない。彼女が子供に対して用いていた適応手段、つまりスプリッティングを、僕に対しても用いているだけのことである。

 

 この母親はどこかで決断しなければならない。子供の問題だから子供が治療を受けるべきであるなどと、子供の問題、治療を自分から切り離すのではなく、自分もそれに参加していかなければならない。自分も子供も共に良くなるということが理想である。それを実現するために、母親は決断しないといけない。これは自分の問題でもあるので、自分も受けなければならない、と。

 その時にはプレイセラピーやってますかではなく、私も子供も一緒にみてもらえますかなどといったふうに問い合わせ内容も変わっていることだろう。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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