9月30日:復讐

9月30日(水):復讐

 

 「復讐」なんてタイトルは穏やかじゃないな。まあ、他に適切なタイトルも思いつかないし、いいとしようか。

 

 X君といういじめっ子がいるとしよう。X君はクラスメートを殴ったりする。その被害者が4人いるとしよう。この4人をそれぞれABCD君としておこう。

 ある時、あまりにもX君の素行がひどいので、X君がついに先生に呼び出されて、こっぴどく叱られて、それでX君が停学処分になったとしよう。

 A君はX君が停学処分まで受けたことで腹の虫が治まったような気持になっている。感情的にはX君を殴ってやりたいくらいの気持ちはあるけれど、X君が処分を受けたことでその感情が治まっている。

 B君はそうは考えない。X君が停学処分を受けようと受けまいと、自分がやられたのと同じだけやらないと許せないと思う。Xからは10発殴られた。だからXは10発殴られなアカンと思うわけだ。あるいは10発殴らせろとか思うわけだ。

 まず、この二人から考えよう。A君とB君ではその思考において何が違うかということから考えよう。両者の決定的な違いは、A君の方が成熟した思考様式を持っているのに対して、B君は未熟で子供の思考様式をしているということだ。ピアジェの理論に従えば、A君は形式的操作期の思考をしているのに対し、B君はその前段階の具体的操作期の思考をしているということになる。

 A君にとって、自分が直接にXを殴り返すことと、先生を通してXが処分を受けたこととは、象徴的に等しいのである。Xが処分を受けたことは自分が復讐を果たしたのと等しくなっているわけだ。具体的に等しいというわけではなく、象徴的に等しいということである。

 B君はその思考に象徴性が含まれていないのである。目に見える形で等しくなければならないということだから、象徴的なものよりも具体的なものの方が優位であるわけだ。だからA君よりも思考様式が一段低いと言えるわけだ。

 次にC君に登場してもらおう。C君はいわゆる「倍返し」を望んでいる。Xの停学なんて処分としては甘い、退学させて死刑にしろなどと思うわけだ。Xに10発殴られたけれど、100発殴り返さんと気が済まんなどと考える。

 「目には目を、歯には歯を」という復讐の原理がある。相手から目をやられたら相手の目を仕返しする、歯を折られたら相手の歯を折るという復讐である。一瞥するとこの原理は復讐を推奨しているように見えるけれど、これは同時に制限を課している。やられたこと以上のことを仕返してはいけないという禁止を含んでいる。

 B君はこの禁止を守り、この原理に従おうとしていると言えるのだけれど、C君はこの禁止を破ろうとしていると言えるだろうか。C君はB君以上に憎悪の感情に支配されていると言えそうだと思う。

 世間を騒がすような事件の犯人の中にはC君のような思考をしている人もある。これだけのことをやられたのだから、あれくらいやり返して当然だと考えるわけだ。やられたこととやり返したことのつり合いが取れていなくても構わないのである。「投稿した作品を盗作されたから会社に火をつけて何人も殺してやった」などである。

 B君にはまだ抑制が働いているけれど、C君は抑制が効かなくなっている、そのように言えるかもしれない。

 続いてD君に登場してもらおう。D君もXから殴られており、Xに対する復讐に燃えている。けれど、D君は全然関係のないY君を殴っている。D君はY君をイジメているけれど、Y君がX君の置き換えであることにD君が気づいている場合もあれば気づいていない場合もあるだろう。D君は自分が何をやっているのか、本当は何を求めているのかなどについて盲目であることもあるだろう。Y君にとってはいい迷惑であるが。

 

 さて、これをお読みのあなたが誰かに対して復讐心に燃えているとしましょう。あなたはABCD君のうちのどの人のようになりたいでしょうか。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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