9月30日(火):団塊世代
クライアントのキャンセルのおかげで今日は休むことができる。振り返ると、先週も先々週も休みがなかった。クライアントが週全体に分散したのだ。だから一日一日はそれほど忙しくないものの、定休日にも予約を入れることになったのだ。もちろんそれはクライアントさんの都合でそうなったのだが。
昨夜はいたたまれないような気持ちに襲われてしまい、ついつい帰宅前に飲酒した。何もいいことはなかった。
団塊の世代を僕は尊敬している部分もあったけれど、だんだん軽蔑するようになってきた。彼らは戦後のモノのない時代を生きたというけれど、それがそんなに自慢できることなのだろうかとも思う。実際、団塊の世代たちは現実に戦争を経験していないのだ。戦場に出たのは彼らの親世代なのだ。戦時中は彼らは子供だったはずだ。
僕たちは今現在、戦争をしているようなものだ。昭和20年代よりもひどい時代なんじゃないかとさえ思う。
大きな違いはインターネットというやつだ。これは一個人が商店や会社を潰すだけの凶器になりうるものだ。常にこいつに警戒していないといけない。だからどこともネット対策をしているはずだ。今日の客が明日は敵になるかもしれないという状況なのだ。それもウチを潰す敵になるかもしれない。潰される前に対策を練らなければならない。これを繰り返しているようなものじゃないか。
実際、大手企業なんかはそういう書き込みなんかをチェックして、その対策に結構な費用をかけていたりする。それは企業の経費である。ここに多額の費用を投じなければならないがために、当然、従業員たちは負担を強いられる。書き手のもたらす経済損失はものすごいだろうな。
もっとひどいのは、バカッターなどと呼ばれる人たちだ。売り物の食材に埋もれたり、倉庫で悪さしたり、ショーケースに入り込んだりとかして、その写真をネットで流すような連中だ。そこから給料をもらっている身分でそういうことができるのだから不思議だ。子が親の顔に泥を塗りたくるようなことをしておるわけだ。
昨年だったか、老舗の蕎麦屋さんがバイトのバカッターのために信頼を落とし、店を畳んだというのを読んだことがある。こいつは店を潰したのだ。店主の信用にも泥を塗ったわけだ。僕は是非とも閉店せずに、店主はそのバカッターととことんやり合うべきだと思う。個人がお店を潰すことができるということの前例を作ってはいけないと僕は思う。気に入らない店があったら、そこのバイトになり、バカッター行為を撒き散らせばいいということになってしまいそうだからだ。
もっとも、ある企業の人事担当者は、採用前にそういう行為が志願者に見られないか厳重にネットをチェックするというのだから、バカッターは自分の首を絞めていることにもなる。
つまり、客も従業員も敵になり得る時代なのだ。戦争よりもひどい戦争なのだ。
あと、団塊の世代は高度経済成長を経験している。国が国民の所得倍増計画を打ち出したような時代だ。国民の所得を倍増させるなんて、今の政治家にはとうてい無理だろう。これから先、景気の変動はあるだろうけれど、当時のような右肩上がりを僕たちは今後経験することはないだろう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
この日はけっこう長文を書いた。これは一日分の前半部分である。後半は次回に回す。団塊世代たち、僕の親世代を、僕は今でも尊敬できないでいる。中には素晴らしい人もあるし、どうしようもないのもいる。でも、それは僕たちの世代でも、もっと若い世代でも同じことだ。
(平成29年2月)