9月29日:腐ってられない

9月29日(月):腐ってられない

 このブログも長い間手つかずだった。何度か書いたことはあるが、公開する気にもなれず、また、自分の書いたものが気に入らず、ボツにしてしまった。
 僕は今の自分の生活を、そして僕自身を変えていきたいと思っている。今の生活にも、こういう生活しか送れない自分自身にも、まったく満足していない。僕はもっと変わっていくことができると信じている。これを信じるかどうかは、実際に変われるかどうか以上に重要なことだと僕は思っている。

 昨晩から禁酒、禁煙を試みている。
 禁煙はもう断念した。昨夜は家で大人しく過ごし、今朝も外回りの仕事を済ませながら、できる限りタバコには近づかないでいた。お昼に職場に着いて、いい加減喫煙欲求に襲われているけれど、どうにかこらえることができた。14時まで頑張れば、あとは面接をしているのでタバコから離れていられる。そういう計画だった。
 ところがダメだった。まず14時のクライアントが急用でキャンセルし、続けて明日のクライアントが体調不良でキャンセルした。仕事をキャンセルされることほど腹立たしいことはない。怒りに手が震える。ついに耐えられなくなり、タバコを手にする。
 一服する。気分がスーッと鎮まるのが分かる。穏やかな日に禁煙は開始するべきだと思うのだが、なかなか現実にはうまくいかない。

 僕も過去にはカウンセリングを受けた経験がある。最初のN先生から、SVも兼ねてくれたH先生、そして最終的に僕のお師匠さんとなったI先生と面接を続けてきた。トータルすると200回は下らないだろうと思う。
 その間にはやはりキャンセルしたこともある。そうしなければならないという場面もあるにはあったが、それは1割程度だ。十中八九は何らかの抵抗だった。それは後になって理解できるものだったけれど。だから、カウンセリングのキャンセルはまず「抵抗」であり「症状」なのだということが今ではよく分かっている。
 僕にはよく分かっていても、クライアントたちには理解できないだろうと思う。僕自身なかなかそこは理解できなかったからだ。一見、不可抗力のように見える場合でも、いかに自分がその状況をもたらすことに力を貸してしまっているかは、なかなか見えないものだと思う。

 それでも、妥協して、キャンセルするのはいい。本当にわかってほしいと僕が願っていることは、先送りしてしまうことの弊害の大きさなのだ。
 「心の問題」は、多かれ少なかれ、その人の発展を妨げてしまう。それが「悪化」に一役買ってしまう。また、多くの人は「治るか治らないか」に拘ってしまうのだけど、「悪化しているか否か」の視点も必要だと僕は思う。「悪化」していないなら、その「治療」は成功していると言えると僕は思う。
 実際、クライアントたちの話を聞いていて、彼らがその「問題」にこれまでどのように対処してきたかを問うと、まずほとんどのケースでそれを先送りしてきたエピソードを聞くことができる。その時に取り組んでおけば良かったのにと思う時期が必ずあるものだ。かなり手遅れになってから援助を求めるのだけれど、それでも回避することを選んでしまう人たちもいる。そうしてさらに先送りされてしまうわけだ。先送りされればされるほど、それはますます自分の手におえないもののように感じられてくる。そうしてその人が一切の努力を放棄するのはもはや時間の問題だという段階にまで達する。
 大げさに言っているつもりはない。本当にそうなのだ。

 さて、キャンセルが立て続けにあったからと言って、そうそう腐ってもいられない。タバコを解禁して、気持ちを鎮めると、図書館から借りていた本をコピーし、いくつか書類の整理をし、こうしてブログを書いている。15時半まで時間がある。僕は僕の時間をこれ以上無駄にはしないでおこう。
 明日、来られる予定だったクライアントに関して、この一週間、僕はその人の今後の方針を頭に描いてきた。それも徒労に終わりそうだ。でも、こんなことにもある程度は慣れている。努力が実らないことなんて、これまでイヤというほど経験してきた。いちいち落ち込んでなんかいられない。
 真面目に取り組もうとされる人だけ来てもらえればそれでいい。救世主に扮するつもりは、僕にはまったくない。克服して次の段階に上がるか、回避して今後ダメになるか、それはその人の人生だ、その人が選べばよいことなのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 状況は今もあまり変わらない。その人のために準備しても徒労に終わることもある。先送りし続ける人もある。一方で真面目に取り組んでいる人もある。何事もその時に取り組むのが一番だと僕は思うのだが、やはり、回避する人は回避してしまうものである。
(平成29年2月)

 

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