9月29日(木):ラスティネイルの思い出(2)
「ラスティ・ネイル」に初めて入った時、店の中は誰もいなかった。店員さんは外出中かなと思って、僕は少しだけ店内で待っていたけれど、誰もいない店で待つのも気持ち悪いなと思い、その辺を一周してくる。
二度目に入った時、カウンターには若い女性が立っていた。彼女はトモちゃんといって、この店のアルバイトだった。最初に僕が入った時、彼女はたまたまトイレに入っていたのだけれど、数日前に観たテレビの恐怖番組を思い出してしまって、誰か来たのは分かっていたのだけれど、怖くなってトイレから出られなくなったのだと言う。そんな怖がりのトモちゃんが僕はたまらなく好きになってしまった。
この店、なかなか中身も凝っていて、入り口を入った所に水槽があり、中でメダカのような熱帯魚がピチピチと泳いでいた。カウンターは5,6席あって、窓側にテーブル席が二つあった。雰囲気も良かった。
さて、僕たちがブラックジャックに勝っていくとどういうことが起きたかである。
まず、トモちゃんが姿をくらますということが起きた。「トモちゃんはどうしたん?」とマスターに尋ねると、「彼女は実家に帰った」という答えだった。「実家に帰った」というのは業界用語のようなもので、彼女は辞めたということである。恐らく、解雇されたのだろうと思う。
次に、水槽の熱帯魚たちが日に日に衰えていくのである。水槽をコンコンと叩いても、以前は反応していたのに、ぐったりして動かない。僕はマスターに「魚にエサをちゃんとやってるか」と尋ねると、彼は「そいつらがよく食うんですよ」と、答えにならない答えを返してきた。魚たちも飢えていたのだろうと思う。
さて、トモちゃんがいなくなるということは、店の中は男ばかりになるということである。マスターとオーナーがカウンターに立つことになる。ある時、僕が静かに飲んでいると、「寺戸さん、元気がないやんか、これで元気出し」と、オーナーはカウンターの下からエロ本を引っ張り出したことがあった。男連中がエロ本を鑑賞し合うというようなバーは、後にも先にも、僕はここだけしか知らない。そうして、トモちゃんがいなくなると、みんなが乱れてきたのである。
また、飲むものも制限される。僕があるカクテルを注文すると(それはちゃんとメニューに載っている)、「それはやめて」とマスターが言うのである。「何で?」と僕が尋ねると、「それはコストがかかるから」ということだった。こうして、低コストの飲み物しか僕たちは飲んではいけないという暗黙のルールが生まれたのである。店の人が初めから高コストのものを作ることを拒否するものだから、そうならざるを得ないのである。
このマスターとオーナーは、専業のバーテンダーではなくて、本業は中古車のディーラーだったように記憶している。だから昼間は本業の方に就いているのだろうと思ったけど、偶然、真昼間に店の前を通りかかったら、なんと二人とも店の中にいるではないか。一体、何をしていることやら。
彼らは中古車以外にもいろんな品物を扱っていたようである。アレルギーにならないという「健康玉子」なんかも販売していて、飲みに行ったら「健康玉子買わへん?」などとセールスしてくる。こうして、そこはだんだんと何屋さんだか分からなくなってくるのである。
その後、間もなくして、素晴らしきバーである「ラスティ・ネイル」は店を畳むのである。
振り返ってみると、トモちゃんがいなくなってから、急角度で店が傾いていったように思う。トモちゃんが一人いるだけで、男連中も多少は紳士的に振る舞っていたのである。トモちゃんがいなくなってがっかりした僕は、トモちゃんを探してほしいと、「探偵ナイトスクープ」に依頼を出そうかと真剣に考えたこともある(これは当然出さなかったのである)。
しかし、トモちゃんがいなくなったことの根本原因は、あのブラックジャックにあったのではないか。そうなると、彼らのギャンブル好きが店をダメにしてしまったと言えなくもない。やはり、ギャンブルにはハマらない方が良いのである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
素晴らしきバー、ラスティ・ネイルの壮絶な転落ぶりである。でも、その何でも有りの感覚、ごちゃまぜの感覚というのも、当時は楽しかった。経営している人たちにとってはどうだったかは分からないけど
(平成28年11月)