9月23日(水):クライアントを待ちながら
世間はシルバーウイークだけど、僕は、昨日を除いて、毎日出勤している。その間に面接を何件かこなしたけれど、基本的に室内の整理作業をする。
今年、この室内を大幅に変えようと計画していた。GWに大がかりな移動をやって、お盆に書架の辺りをきれいにして、SWには室内をきれいに清掃しようと考えていた。ところが、お盆にツーの奴が出たせいで、予定が大きく狂った。今回、本当ならお盆の休みにやっているはずだった作業をする。
ああ、それも予定外のことばかりで、思っていた以上にたいへんな作業だった。予想していたよりもけっこうな量のものがあったのだ。そのために、SW中にやっておこうと思っていたことの半分も終わらない始末だ。
まず、10年間の資料やその他を処分した。今現在、ごみ袋が7袋満杯になっていて、8袋目がもうじきいっぱいになろうかというところだ。部屋の一角だけゴミ屋敷のようだ。それでも終わっていないのだ。
なんとか11月には心機一転してやっていこうと思うのだけど、どうにかして間に合わせないといけない。そうしないといろんなことがさらに後に後にと伸びてしまう。だからある程度のところまでは終わらせないと。
今日、この後、クライアントが一人来る。その待ち時間にこれを書いている。本当は、こうしてじっと待っているよりも、作業を少しでも進めたいと思うのだが。
言い忘れたけれど、この職場だけの話ではない。家の方、つまり僕の実家の方ということだけれど、こちらも一度きれいにしておこうと決めている。昨日は家の方を重点的にやったということだ。
どういうわけか、一度、自分のまわりを清算したいと思うようになっている。今、必要なものだけを残して、それ以外は、処分するなり片付けるなりして整えたいと思っている。自分自身を整えたいということなのだろう。僕自身に迷いが生じているからだろう。
これまでも幾度となく迷い、その都度整理して、清算して、どうにかこうにか生きている。生きるとは案外こういうものだとも思う。常に軌道に乗るとは限らないものだ。
心機一転してどうするかって言われると困るのだが、何も変わらないかもしれないし、何かが変わっているかもしれない。そこに到着するまで何も見えないものだ。先が見えていたら、もっと要領よく生きていただろう。ただ、それをやりたいという止むに止まれぬ思いがあるからしているだけである。あまり打算的には物事をやらない方だと自分では思う。
久しぶりにパソコンをこうして触っているけれど、しばらく間が空くと、上手く打ち込めない感じがしている。それにこのパソコンもいつ寿命が来ることやら、定かではない。けっこう長持ちしている方だ。
予約の時間なのに、クライアントが現れないな。こういうのが一番困るのだ。15分待って来なければ、僕は自分の作業を始めることにしよう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(追記)
クライアントを待っている間に書いていたのだな。文中の身辺整理作業は未だに完遂できていないけど。古いものは処分しても、新しいものがそこに積み重なるから、エンドレスの作業というような気がしている。
(平成29年7月)