9月16日(月):映画を読む~『Oh!我らがB級映画』(1) 16
季刊映画宝庫の第4号(1977年秋号)は、なんとB級映画特集だ。編集は増淵健さんだ。よくぞこういう特集を組んでくれた。マスケンさんに拍手。
本書の内容は以下の通り。
1・「栄光のB級映画大行進」(映宝カタログ1)
これはカラーグラビアで、B級映画のポスターが多数掲載されている。ああ、いいなあ、ポスターを見ただけでそれがB級映画なのが伝わってくる。あまりそういうところにまで経費をかけられないのだろう、何とも言えない安っぽさが漲るポスターばかりだ。安っぽいけど「味」があるって感じ。片っ端から観てみたい
2・「楽しいぜ!テレビ幻の名画館」(石上三登志)
B級映画は劇場で見ることは少なく、もっぱらテレビで見るものばかりだと著者は言う。僕も同感だ。B級映画と分かっていて映画館に足を運ぶ気にはなれなかったりする。
著者は書いている。B級映画とは、くだらない作品を言うのであり、そのくだらなさとは大人の眼からの評価に過ぎないのである。それを追い求めるというのはそのくだらなさに意義を認めていることである。それがトータルな映画への愛に関わるとき、B級はB級として存在し得るのだと述べ、結論として、「つまり、B級映画を楽しむためには、ものすごい量の映画を観なければならず、それゆえ大人にとってこれらのフィルムは、まさにマニアしか楽しめないわけなのだ」とのこと。そして、B級映画は、A級映画が忘れてしまった物の見方を教えてくれるのである。なんともディープな話が初っ端から飛び出してきたぞ。僕はものすごく納得できたけどね。
以下、テレビ放映された作品なのだろう、著者が何作ものB級映画を紹介している。こういうB級映画がテレビで普通に観れた時代が羨ましい。
3・「幻のチャンバラスターたち」(永田哲郎)
著者は3歳のころからチャンバラ映画を観てきたという生粋のチャンバラ映画マニア。チャンバラ時代劇映画は、当時の軍国主義政策の影響で、昭和18年頃に一度途絶えてしまったようである。本項は戦前の時代劇俳優たちを回想している。
うむ、正直言って、読むのがキツイ。戦前の日本映画なんて僕はまったく無知だし、時代劇も見ないしで、何一つとして僕の趣味と重なるところがなかった。観たことのない作品ばかり、知らない俳優さんばかりで、なんとも苦痛であった。でも、戦争がなければ、こういう映画がその後も作られていって、映画界を賑わしていたかもしれないと思うと、やっぱり戦争なんてものはなんのメリットもないな。
4・「ぼくのB級映画館地図」(田中小実昌)
河川に二級河川があるようにはB級映画なんてものはない、と著者は言う。製作費が莫大であったり、意欲作であったり、そういう作品はB級とは言わないだろう。でも、B級映画というものはなく、ただそう呼んでいるだけである。
著者はそんなB級と呼ばれる映画を上映してきた映画館の思い出を、そこで観た映画作品とともに綴る。
それぞれの映画館の写真が掲載されているけれど、どれもいい味だしているなあと思う。下町の、あるいは場末の映画館って外観ばかりだ。ガードレール下の映画館なんて、一度入ってみたい気もする。安い料金で二本立て、三本立てで映画が見れたのだから、なんともいい時代だなと思ってしまう。
最後に著者は書いている。世の中には一年に一本くらいしか映画を観ないという人はたくさんいる。そういう人が映画を観るとなれば評判の大作ってことになる。大作を製作する側も利益を上げて回収しなくてはならないから、年に一回しか映画を観ないっていう人が喜ぶような映画にしなくてはならない。「つまり、ふだんは映画なんか見ていない人たちの映画を作る。そんな映画が僕たちに面白いわけがない」という。僕も同感だ。
5「極め付きアラカン天狗15態」「笛吹童子大会へようこそ」(映宝カタログ2)
グラビアページ。前半はアラカン演じる鞍馬天狗の名場面集。凛々しく、ビシッとポーズが決まっているのに、その大真面目さが却ってB級感を醸し出しているようだ。
後半は「笛吹童子」より、映画のスティール集。セット感丸出しの背景に、チープな妖怪たちの姿が泣かせる。
6「リレー大河座談会 Oh!我らがB級映画」
本書の白眉とも言えるコーナーだ。40代、30代、20代と、それぞれの世代と座談会を開く。延々9時間にも及ぶリレー座談会だったそうだ。最後に、座談会で名前の挙がったB級映画作品リストが掲載されているが、このラインナップを見ると、9時間の座談会の全貌を読みたくなってしまう。
7「栄光のB級映画大行進パート2」(映宝カタログ3)
グラビアページ。B級映画の各ジャンルのポスター集。洋画のギャングやマフィアものを筆頭に、日本では忠臣蔵と弥次喜多、それに次郎長とくる。
そして喜劇だ。エノケンはA級だけど、伴淳三郎のアジャパーはB級だと、ようわからん内容を先の座談会で読んだが、ポスターを見ると妙に納得する。さいざんすのトニー谷もB級か。
それから戦争もの、ヴァイオレンスアクション、人情もの、さらにはB級にもある実録・ノンフィクションもの。本当にB級ってのは範囲が広いな。
8「B級スター、雑エンターテイメント」(川本三郎)
ここではB級作品に登場する俳優さんたちを取り上げているんだけれど、どの人もメチャ有名やんと思ってしまった。名優もスターも、売れる前はけっこうなB級映画に出ていたのだなと思ってしまう。ジョージ・ペパード、ウォーレン・オーツ、ジェームズ・ガーナー、ロバート・ミッチャム、バート・レイノルズ、ロバート・ドュバル、ジーン・ハックマンにリー・マーヴィンと有名どころが名を連ねる。ジョージ・ケネディとか、スリム・ピケンズとか、ジャック・イーラムなんて名前が出てくると、ようやく僕のイメージするB級スターに近づいてくる。
名優かB級スターか、その位置づけは個人によって異なるかと思うけれど、著者はB級スターには「雑なるもの」の活力にあふれているという。B級スターはどんな映画にも出まくるので、出演作が雑多になるものだ。フィルモグラフィーを眺めているだけで楽しくなるという著者の気持ちは僕にもよくわかる。そういう「雑」さが持つエネルギーが魅力であるとのこと。確かにそうかもしれないと思った。
9「失われたB’監督十人を求めて」(筈見有弘)
B級スターに続いて、今度はB級監督だ。B’とダッシュがついているのは、映画辞典でさえその名前が落とされてしまっている監督を含んでいるからとのこと。ここでは以下の10人の監督とその作品が綴られている。
『悪漢バスコム』のS・シルヴァン・サイモン監督、『ブロンディ』シリーズのフランク・R・ストレイヤー監督、『ホバロング・キャシディ』シリーズのネート・ワット監督、『落日の決闘』のスチュアート・ギルモア監督、『犯罪王デリンジャー』のマックス・ノセック監督、『外国の陰謀』のシェルダン・レイノルズ監督、『4Dマン』のアーヴィン・ショーテス・イーウォース・ジュニア監督、『5番街を手術しろ』のジョン・クロムウェル監督、『殺し屋への挑戦状』のアンソニー・ドースン監督。
うーむ、聞いたこともない作品と監督ばかりだ。よっぽどの映画通でなければ知らない名前だ。でも、これらの作品を一度は見てみたいものだと思う。
10「あのペキンパー第一作」(映宝カタログ4)
グラビアページ。サム・ペキンパーの監督第一作は「荒野のガンマン」(1962年)という西部劇で、かなりのB級作品だったようだ。作品中の場面のスティールで構成されている。西部劇作品だが、西部劇の常識をことごとく破ってる作品であるようだ。そもそも、主人公は銃が撃てないのである。そしてダメ男3人揃って、失策し、名を上げるチャンスを逃してばかりいるという。最後は仲間割れでもするのか、一人だけが残るというラストらしい。う~む、観てみたい。
11「闘士と海賊と諜報員たち」(二階堂卓也)
タイトルがいい。闘士に海賊にスパイか、まさにB級が好んで使う題材だ。
ここでは戦後のイタリア映画が取り上げられている。史劇で映画復興を遂げたイタリアは、その後、西部劇(マカロニウエスタン)がそれに取って代わり、さらに007のヒットにあやかってスパイ・アクションものへと流行が推移していった。そう、これらの作品は、面白ければなんでもありで、パクろうが何しようがお構いなしで、ヒット作があればすぐに二匹目のどじょうを狙う勢いで作られたものばかりだ。
ここでは、西部劇を除いて、史劇とスパイものに内容が限られている。史劇の方では、体格のいい俳優さんを起用したばかりにアクションにキレがなくなったりなど、アクション映画あるあるに出て来そうなエピソードが満載だ。スパイものの方では、本家007よりも11倍多い077シリーズなど、パクり感丸出しの作品から、ショーン・コネリーの実弟を主役にした『ドクター・コネリー・キッドブラザー作戦』など、タイトルを聞いただけでワクワクしてくるような作品がわんさと紹介されている。どれもこれも見てみたくなってしまう。
それにしても、イタリア映画界のバイタリティだけは見習いたいものである。
12「アメリカB級映画史」(ジーン・ファーネット)
本書で僕が一番面白く読んだ一本だ。今は亡きどころか忘れ去られたB級映画製作会社の数々が綴られる。
最初はティファニーという映画会社だ。無声時代からトーキーを経て1932年に倒産してしまったそうだ。1929年の大不況の煽りを食らってしまい、最後の方はかなり低予算の映画を、最小限のスタッフでつくっていたようだ。ミニチュアセットに洋服を着せたチンパンジーを出演させて演技させ、チューインガムを噛ませて口をもぐもぐやってるところに人間がセリフを吹き込むという、涙ぐましい努力がにじみ出る作品まで生み出している。同社の音響技師の言葉、「私たちは、いつも、会社が再建され、仕事がスムーズに行くよう望んでいた。それがはかない夢に終わった時、私たちは、ただ呆然とするだけだった」に、たまらない哀愁を感じてしまう。
続いて、グランド・ナショナル社、モノグラム社、リパブリック社と続く。自社のスタジオを持つことができず経営が厳しかったり、こっちを先に制作しておけばヒットしていただろうに駄作の方を先に製作してしまったり、社長の公私混同で売れない俳優を使い続けたりと、B級制作会社ならではのエピソードが満載である。
最後にPRC社である。上述の会社よりはるかにましである。一度、倒産の危機を迎えるものの、作品の質を変えていくことで乗り切り、さらなる飛躍を遂げるが、最後はユナイテッド・アーティスツ(UA)社に吸収されてしまうという波乱万丈な浮き沈みを見せた会社である。
映画作品には物語がある。これは映画を鑑賞して僕たちが堪能できる物語だ。そして作品を作る部分にも物語がある。これはDVDの特典でついてるメイキングや音声解説などを通じて僕たちは知ることができる。さらに、作品を作った会社の物語もあるはずなのであるが、これに関しては僕たちは知る機会がまったくない。それだけに本文は興味深く読ませてもらった。
13「B級西部劇は死なず」(映宝カタログ5)
グラビアページ。
西部劇なんてB級の宝庫だ。数々の作品からいくつか紹介。西部劇をよく観た方の僕でも知らない作品ばかり。どんな映画たちなのか、どれもこれも観たくなってくる。
14「我らのB級オモチャ箱」(映宝カタログ6)
これはB級映画のポスターやチラシ、台本などを展示しているコーナーだ。映画好きはそういうものも集めたがるのだけれど、こうして見ると、欲しくなってくるから不思議だ。なんというか、独特の味わいがあってよろしい。
15「世界封切映画総リスト」
これは特集とは無関係のコーナーで、1977年5月から7月にかけて公開された映画の一覧表である。「スターウォーズ」「遠すぎた橋」「トランザム7000」といった名作、ヒット作もさることながら、シンデレラ童話をミュージカル化したソフトコア・ポルノ(どんなジャンルじゃ)「シンデレラ」といった、解説を読んだだけではどんな映画か想像できない珍作まで紹介されているのが嬉しい。
それにしても、3か月くらいの間にこれだけの映画が封切られたのだ。70年代後半といえども、やはりいい時代だったのだなあと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)