9月15日(日):くだらないものばかり
この二日間はキツかった。
まず、13日(金)から14日(土)にかけての夜勤は、いつもより一時間早く出勤して、予定より一時間半延長した。しかも、予定外の移動があった。11時間半の勤務時間で、休憩時間がほとんどないというありさまだった。最後はかなり足にきていた。終了後も、すぐには帰宅できず、座って、足を休ませてからでないと歩く気もおきなかった。
14日から今朝にかけての夜勤は、そうした変更こそなかったものの、9時間半の勤務時間中、あまり休憩もとれなかった。昨日の入荷品が残っていたためでもある。それらは休憩時間中に終わらせなければならなかった。
世間では三連休だということらしい。そのせいかお客さんもいつもより多かった気がする。大半のお客さんは普通に買い物をしてお帰りになられる。一部の客は非常に面倒だ。ざっくばらんに言えば、「絡んでくる」ようなのがおる。僕の中で殺意が芽生える瞬間がある。
これも面白いもので、若い人は比較的大人しい。絡んでくるのは中年以降の年齢層が多い。若い人ならまだしも、本当だったら落ち着きを見せてもいい年齢なのに。コンビニなんかで店員に絡むなど、ええ年こいて、みっともない。
たいていは男性だ。きっと結婚もできないのだろう。僕のように最初から結婚はしないと決めているなら別だけれど、彼らは女性からは好かれないだろうな。見ていて分かる。あまり常識とか一般の良識から外れたことをすると、女性の方が嫌がるものであり、信用されないものである。もっとも、その女性の方も男性と同レベルの人間なら問題はないのかもしれないのだけれど。
もひとつ言えば、彼らは人生が上手くいってないのだろう。負けてる奴ほど文句が多いし、周りに当たり散らすものだ。
いずれにしても、僕の若いころ、1990年代後半ころと比べて、客層がかなりレベル低下した印象がある。当時は客の中にも荒々しいのがおったけれど、今は大人しい。一方で、絡んでくる奴でも、当時の方が荒々しかったけれど、分かりやすかった。今は陰湿で、意味不明なのが多い。まあ、僕の個人的印象だけれど。
この違いは、僕の見解では、自己の統合性の低下によるものだと思っている。90年代後半当時の客の方が、その言動にまだ一貫性があり、まだ筋が通っていたところがある。今はそういう一貫性が見られない感じ、筋が通っていない感じがある。
まあ、人のことなので放っておいてよいのである。彼らが10年後には精神が崩壊していようと、僕には関係がない話だ。
今朝、帰宅すると、居間にてテレビがついている。ニュース番組だった。
外国では児童のSNS利用を規制する法案が出されたということらしい。いいことだ。SNSなんてしない方がいい。そんなの人生に何の必要もない。SNS上で知り合ったといっても、たんに行きずりの人に過ぎないし、その場限りの関係性でしかないものと僕は思う。そんな関係に縛られるなんて愚の骨頂だと僕は思うのだけれど、そこから抜け出せなくなるところがSNSの怖いところである。そうして事件や犯罪に巻き込まれてしまう若者も多いとか。それなら規制した方がいい。本音を言えばSNSなんて滅びたらいい。
結局、これは規制だけで片付く問題ではないと僕は思う。犯罪に巻き込まれるということは、一方では犯罪を企んでいる人たちがいるということである。後者がまんまと成功してしまうという図式が問題だと僕は考えている。人を騙した者の勝ちみたいなところがあり、それが常態化してしまうことを懸念する。
自民党総裁選は僕にはどうでもいいことになっている。誰がキシダの後を継ごうと、日本が良くなる見込みはなさそうである。
兵庫県知事がパワハラ問題などで注目を集めている。県議会の人もすべて辞職を求めているのに、当の本人は辞職するつもりがないのである。そのまま知事を続投しようというのである。
これに関して「メンタルが強すぎ」などと評価する人がネット上におられるようだけれど、僕はそれは違うと思う。メンタルが弱いからそこにしがみつくのである。本当にメンタルが強かったら、一時的に敗陣してでも、再び知事にまで這い上がって来るはずである。再びこの地位に就く意気込みと覚悟があれば、ここは潔く辞職するものだと思う。メンタルが弱い(こういう言葉も意味不明であるけれど)からそこに強情にしがみついているだけである。
ふう、書いている方も嫌気がさしてくる。世の中くだらないことばかりであり、くだらない人間が多すぎる。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)