8月4日:発見は実感の元

8月4日(火):発見は実感の元

 

 今日は定休日だ。とは言え、特にすることもない。高槻に出ることにする。

 それまでは家にいて、テレビを何気なく見ていた。「よーいどん」が流れていた。街の光景を見ても、そこへ行きたいと思う気持ちも湧かず、グルメ料理を見ても美味しそうとも食べてみたいといった気持ちも湧かず、僕の中に無感情がはびこっている。

 いや、実際、行きたい所もないし、見てみたい光景もない。食べたいと思うものもなければ、やりたいと思うこともないし、欲しいと思うものもない。最近はずっとこんな調子だ。

 

 足の方はというと、痛みは多少ともあるが、膝の可動域は増えた。昨日まで曲げられなかったところが曲げられるようになった。しかし、それ以上に曲げると痛みが走る。

 歩行は、平地ではある程度スムーズに歩ける。段差とかが厳しい。階段の昇降はやはり無理だ。それだけ膝が曲がらない。

 それでも、あと数日中には治まるような感じがしている。

 大切なのは回復を実感していることだ。それは実感されるだけでなく、まず発見されなければならないものである。発見があり、実感となり、そして希望が開けてくるのである。自分自身に発見の無い人は何事も治らないのである。

 そう、自分自身に発見することである。他者に発見することではないのだ。他者は、自分自身の発見のために欠かせない存在であるとは言え、発見する主体は自分であり、発見される客体も自分自身ないしは自分の中にあるものである。

 何を発見すべきか。発見すべきものを発見しなければならない。一番難しいのはこれである。自分を理解するというとき、それは簡単だと言う人もある。事実、自分について人は理解し得るのである。しかし、何を理解する必要があるのかを理解できることがもっとも難しいのだ。これのできる人は稀であると僕は思う。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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