8月31日:内向と外向

8月31日(土):内向と外向

 

 足の痛み、並びに胃痛と、かなりましにはなっているけれど、まだ少々の痛みがある。足の方は限られた一部分に痛みが残っており、平地では問題ないものの、階段でかなり苦労する。胃痛の方も部分的になっている。

 この胃痛は以前にも経験している。その時のことを思い出していた。すると、以前と今回と共通するところがあった。それがツーなんかの後に生じているということだ。僕は鎮痛剤の副作用のことをすぐに思い浮かべた。効能書を読んでみると、確かに胃腸の副作用のことが書いてある。きっとこれだろうと納得する。

 食欲はほとんどない。空腹感がない。それでも胃を空っぽにしてしまうのはよくないということで、少しずつ食べる。昨夜はお茶漬け一善、今朝はパン一個、昼はカップのそばと、それだけである。食べたいとは思わないけれど、胃を保護しなければとの思いで食べる。

 鎮痛剤は今日から減らしている。朝、一錠だけ飲んだ。それで今日一日持ち堪えさせるつもりだ。

 

 昨晩からずっとサイトの原稿を書いている。「被虐待児のその後」のページだ。すでに20数項分の原稿が揃っている。まだ完成ではないので、校正をもっとやっていくことになるのだけれど、まだまだ予定している内容には達していない。もっと書かなければという思いで今はいっぱいである。

 

 今日の午後から予約を入れているクライアントをキャンセルした。お金が払えないと電話してきたのだ。お金が払えないのなら止めてくださいと、僕はお願いした。世の中の常識では普通のことである。

 彼はお金が払えないのではないのだ。後回しにするのだ。これは僕もやってしまうのでよく分かる。支払いの優先順位を密かに持っているのである。それで払えない分は後回しにされるのである。

 問題はなぜ払えなくなるのかである。優先順位の中にはおかしなものが上位に来ていたりもするが、それはさておくとして、要は、他のことで使ってしまうのである。この時に後回しの心理が働いているのである。だから、8月末の支払い分は、その後回し作業が8月の最初にすでに行われているわけだ。

 もうこの人は切ってもいいと考えている。進展する見込みがなさそうである。

 

 おかげで昼から夕方までの時間が空いた。このブログもその時間に書いている。サイト原稿もすでに2項ほど書いている。昨日、ダウンしてしまったから、今日はまだまだ作業をする。

 

 夕方の面接を終えた。今一つ集中できなかった感じが残っている。

 一方で、内向と外向ということを考えている。ここで言う内向的とか外向的とかいうのは、ユングが性格類型として言っているもので、世間一般で言うものとは若干意味が異なる。外とか内とかいうのはリビドー(心的エネルギー)の方向を指している。

 世間一般的には、例えば、外向的な人というと社交的な人を連想するかもしれない。同じく、内向的な人というと非社交的な人を連想するかもしれない。そういう意味ではないのである。外向的な人は外向的な社交をし、内向的な人は内向的な社交をするのである。外向的な人でも非社交的な人はあるのである。内向的な人でも、人間嫌いではなく、静かで表面立たない人間愛に満ちている人もあるのである。

 自分と向き合ったり、自分を理解するとかいう場面でも、外向的な人と内向的な人とは、そのやり方が異なるのである。内向的な人は自分自身に目を向けて、そこから自分にフィードバックするというやり方をするだろう。外向的な人は外側に目を向けて、外側の何かを通して自分にフィードバックするというやり方をするだろうと思う。

 僕は直接お会いしたことはないんだけど、気象予報士からカウンセラーになったという人がいる。この人は人間の心の動きと天気図とは同じだということを発見したのである。僕が思うに、この人は多分に外向的なのである。心の動きを、自分の心を通してではなく、気象を通して理解しているのである。

 内向的な人は外向的な人と同じようにはできないし、外向的な人は内向的な人と同じようにはできないものである。そして、それでいいのである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP