8月2日:緊急事態宣言に従う宣言

8月2日(月):緊急事態宣言に従う宣言

 

 大阪は今日からまた緊急事態宣言が発令となった。またか、という気がしないでもない。効果の薄い対策をまたやるのかという思いもあるが、僕は従う。コロナを収束させるために役立ちたいと思う。だから政府に従うのではないのだ。

 僕は五輪に限らずスポーツ全般が好きではないのだが、それとは別に五輪に反対するのは、コロナ対策を優先してほしいと願うからである。

 

 コロナに関して楽観的な人たちもいる。それはそれでいいのだけれど、僕としては悲観論を採用したい。最悪の事態を予期しておいて、それが回避できて良かったというふうにしたい。楽観的な見通しを立てて、こんなはずではなかったなどと思うより、よほどいいと僕は思っている。

 災害には一次被害と二次被害とがある。コロナにも同じように分けることができるように思う。楽観論を主張する人たちはコロナの一次被害だけしか見ていない気がしている。一次被害だけを見たら楽観論も許されると僕は思うのだが、二次被害の方に目を向けるととても楽観的にはなれない。

 

 楽観論者のよく言う観点に、コロナによる死亡者数よりもインフルエンザによる死亡者数の方が多いというものがある。だからコロナはそんなに怖くないという理屈だ。

 僕が思うに、これは公平な比較ではない。死亡者数の違いは対策の違いの反映でしかないかもしれない。インフルもコロナと同じ対策を取った上での数字で比較しなければならない。おそらくだけど、コロナ対策をしっかりしていると、それは同時にインフルへの対策にもなるだろうから、両方の死亡者数、重症化数が減少するはずであると、僕はそう思っている。それでもコロナの死亡者数、重症化数が増えているとすれば、やはりコロナはインフルよりも恐ろしいやつなのだ。

 

 日本人はコロナに対してファクターXがあるという理屈もよく聞く。なんだか重症化しにくい体質をもっているそうだ。だから、欧米ほど厳しい対策をしなくてもよいのではないかという理屈も聞く。果たしてそうだろうか。

 アルコールを例にしよう。日本人はアルコールに弱い体質を持っている。欧米人はアルコールの分解が強い体質である。どちらにもアル中がおる。日本人はアルコールが弱いのだから、アル中になる前に呑めなくなるはずなのに、アル中になる人もあるのだ。確かに、欧米人のアル中の飲酒量は日本人から見れば途轍もない量である。それに比べれば日本人のアル中はまだカワイイものである。これは、つまり、下戸は下戸なりにアル中になるわけであり、そうしたアル中が日本では問題になるわけである。欧米人のアル中とはまた違った姿のアル中が日本では問題になっているということである。

 従って、もし日本人がコロナの重症化しにくい体質を持っているとすれば、それは欧米ほど問題にならないということではなくて、欧米とはまた違った種類の問題を引き起こす可能性があるということである。いずれにしても、体質が違うから問題にならないとか、問題が起きないとか、そういう話ではないはずである。

 

 コロナの二次災害のことも考えよう。僕としては、コロナのような問題は二次被害の方が大きいと考えている。

 二次被害に相当するものとして医療逼迫がある。コロナ感染者は医療を受ける。その数が増えると、医療資源がそちらに割かれることになるので、その他の病気の治療へ資源が回せなくなる。医療が逼迫するという現象だ。言い換えれば、コロナで助かる人が増えたとしても、その他の病気で亡くなる人が増えるかもしれないということである。そうなってから、コロナで死んだ人の方が少ないのだからコロナは危険ではないなどという理屈を打ち出す人がいるとすれば、その人は二次被害の部分を無視していることになる。

 それに、日本人にとってそれほど危険でないとしても、欧米人からすれば日本はハイリスクな国と映るかもしれず、観光客や来日者が減少するかもしれない。そうなると観光業や航空業は厳しくなる。こうした二次被害もあり得るわけだ。

 大げさに聞こえるかもしれないけれど、コロナは世界規模で考えなければならない問題ではないかと僕は思う。一地域の宣言といったレベルで考えてもいけないように思う。

 

 まあ、とにもかくにも、大阪は再び緊急事態宣言だ。僕はそれを可能な限り守る。僕も酒のみだけれど、お店でお酒を飲むことはない。開いているお店を探したり、酒類を提供しているお店を探したりして、呑みに行っている(らしい)飲み友達もいるのだけれど、僕はそういうことをしない。

 先週、一日だけ呑んだ。仕事を夕方で切り上げ、飲みに行った。時間との勝負だった。3時間ほどで、かろうじて2件のはしごをやらかした。そして、20時には帰宅の途についた。よう考えたら忙しないだけで、落ち着いて飲むこともできなかった。その時は行きつけの店に顔を出せて良かったななどと思ったものだけれど、今になってみれば、そんなに忙しない思いしてまで呑むこともなかったなと思っている。

 

 僕は宣言を守る。五輪にも反対する。願うのはコロナを収束して普通の日常に戻ることだけなのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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