8月19日:唯我独断的読書評~「畜妾の実例」 

8月19日(水):唯我独断的読書評~「畜妾の実例」 

 

『畜妾の実例』(黒岩涙香 著) 現代教養文庫 

 

 畜妾(ちくしょう)とは、その名の通り、妾を囲うことである。妾を囲った名士たち510人実例の記録である。 

 黒岩涙香と言えば、日本に外国文学を多く翻訳紹介した人で、『岩窟王』『ああ無情』などの訳者として名を残している。探偵小説の勃興にも貢献した人で、創作の探偵小説もある。江戸川乱歩の『幽霊塔』は涙香の小説の翻案(つまり涙香作品を乱歩流に書き直したもの)である。 

 その黒岩涙香にこういう著書があるのを僕は知らなかった。これは涙香の主宰する新聞「萬朝報」(よろずちょうほう)に連載されたものである。この連載のために、妾を囲う名士たちを丹念に調べ、時には尾行まがいのことまでして、個人攻撃と受け取られそうな実名報道をしているわけである。現在ではプライバシーの侵害、名誉棄損で訴えられること間違いなしの突貫報道である。すごい仕事である。 

 ただし、涙香の目的は個人攻撃にあるのではないようだ。序文を少し引用しよう。 

 「憐れむべきは我が国婦人の境遇より甚だしきはなし。古来の習慣とはいえ今もって男子の玩弄たるがごとき地位にあり。この地位を脱せんと欲して種々運動する者あるも、同情をもってこれを助けんとする者なく、滔々たる世間の男子なお却って婦人を玩弄の地に置くを快とし、人倫の根本を破壊して顧みざる者多し」(一部表記を改めてあります) 

 ここにあるのは女性の地位の向上である。そして、それを阻み、女性を玩弄の地位に留める男性への反省を促している。この目的を見失うと、本書はただの個人攻撃ないしは個人の記録に過ぎなくなってしまう。 

 

 さて、510人の実例はさすがに数が多く、読み終わっても誰がどうだったかとかまったく覚えられない。中には結構な著名人も混じっている。短いもので2行くらいの記述から、長いもので数ページの記述まであり、さまざまである。内容の大半は、誰が誰を妾として囲っているか、どういういきさつで囲うようになったか、そういう文章が延々続く。 

 途中で飽きると言えば事実であるが、一方で、明治時代の人たち、明治人(と言っていいか)の実態を垣間見せてくれるいい資料であるとも僕は感じる。 

 いくつか実例の中から拾ってみよう。 

 

(実例100)伊東巳代治(みよじ)男爵の妾永野けいは、巳代治の子を身ごもったことで、他の妾たちの妬みを買い、虐待される。けいは病気になり、子供は堕胎した。 

 (僕の感想―妾どうしでこんな争いが起きるなんて不幸なことだ) 

 

(実例126)高利貸しの岩舘次郎吉は深沢はなを妾として囲う。はなは古着屋の娘であったが、家運が傾いた時に岩舘が工面したのである。はなは質札ということである。 

 (僕の感想―立派な人身売買である。こんな話はいくつも出てくる) 

 

(実例400)旧琉球王侯爵の尚秦(しょうたい)は、6人の妾を持ち、それぞれに手を付け、10人の子供を妾の間に設けている。 

 

(実例489)東京感化院長の高瀬真柳(たかせ・しんけい)は、裕福な商家に生まれたが、遊蕩の果て、勘当されてしまう。身持ちを持ち崩した高瀬は新聞記者として働くが、身持ちを回復させることはできず、詐欺師と交わるようになり、入獄の憂き目にあう。獄中の経験から、出所後は教誨師となる。小さなお寺を借りて、仮の感化院として、少数の出獄者の感化を行っていた。この時、田中光顕(こうけん)子爵の甥を感化したことから、田中子爵より謝礼の寄付金を受け取る。この頃から、感化院設立に向けての寄付が集まり始める。明治22年に新築の感化院を創設し、この頃には高瀬の信用も回復し、皇室からも寄付されるまでになっていた。 

 しかし、遊蕩の血は相変わらずなのか、詐欺師の影響から抜け出られないのか、高瀬の慈善事業は詐欺スレスレのものだ。まず、感化院性を2グループに分ける。一方は「自費生」と呼び、その父兄が費用を負担するという院生である。もう一方は「救養生」と呼び、一切の負担を施設が負うという待遇の院生である。一見すると、平等で慈善であるように見えるが、子供を感化院に入れることができるのは富裕層に限られているので、院生の大半が「自費生」であり、自ずと利益が上がるのである。さらに、富裕層は、秘密が漏れて家名が傷つくのを恐れたり、感化が特別に行き渡ることを望んで、費用以上のものを支払うので、高瀬は瞬く間に富を築いたそうだ。(お分かりいただけるだろうか。本当の慈善家なら、規定の費用以上のものは受け取らないはずである) 

 財を蓄えた高瀬はさらに東京学資保管会社を設立しようとするが、これは頓挫してしまう。 

 さて、高瀬の妾囲いに話を飛ばそう。高瀬は料亭の子女である小春を見初め、学資保管会社の郎党である田辺政巳に囲わせる。小春は露と改名させられる。露はここを抜け出し、芸妓をしている姉を頼って、同じく芸妓になる。芸名は「ぽん太」となる。 

高瀬は、小春ことぽん太に未練があり、わざわざ追いかけて、連れ戻す。小春の姉の亭主がそれを聞き、激怒して高瀬宅へ怒鳴り込みに行ったが、高瀬は示談金を積んで、この亭主を帰らせたのだ。こうして小春は再び高瀬の妾になる。そして、今度は大春と改名させて、芸妓勤めをさせ、高瀬は毎晩のように通うようになる。 

 しかし、大春は請負師の男と関係をもつようになる。それを知った高瀬は激怒して、これまで大春のために支出した金を返せと迫る。事態を重く見た大春の一番上の姉のいくが 

犠牲になる。いくは亭主ある身だったが、離縁し、自ら高瀬の妾になることで大春を救うのである。 

 (僕の感想―なんとも凄まじい話だ) 

 

 妾を囲う男性がすべて悪人というわけでもないし、色欲に狂っているわけでもない。中には慈善的な気持ちで妾の面倒を見ていた人もあるようだ。それでも、妾は法的に禁じられていたわけではないとは言え、立派な一夫多妻である。 

 問題は、女性の地位を低め、そのようにしか生きられない女性を生み出す社会にあり、そのような弱者の救済手段を有さない政治にあるように思うのだが、いかがなものだろう。もちろん、そういう社会や政治をいいことに、私欲で妾を囲むのも問題であるが。 

 日本もそんな時代があったのだ。男からみれば羨ましいという気もする。僕も妾が欲しいよ。 

 

 さて、本書の読書評であるが、明治時代の文章であるために、いささか読みにくさがあるのは仕方がないとして、記録としては貴重なものかもしれないと思う。ただ、510例はさすがに多い。半分に減らして、その代わり個々の実例をもっと詳細に記述した方がよかったと思う。実例とは言え、物語のように読める内容の方が共感もしやすいし、いろいろ考察の幅も広がるだろうからだ。 

本書の評価は3つ星としよう。実は評価しづらいので無難なところを押さえているわけだ。でも、明治時代の風俗とか、女性問題に興味があるという人には本書はお勧めである。そうでない人にとっては退屈な読書になってしまうかもしれないけれど。 

 

 興味を持たれた方に一言注意。教養文庫の発行元である社会思想社が倒産しているので、本書は書店では売っていませんので、古本屋や図書館にてお探しください。 

 余談ついでに、この社会思想社さんは、TAの「自己実現への道」や「孤独~愛情恐怖症」など、教養文庫では「世界むかし話」シリーズなど、けっこう良書を出す出版社だったと私は思っており、今でも偲んでいる一人であります。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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