8月12日(火):コンビニ時代の経験より
僕には、高槻で開業する以前、アルバイトで食いつないだ時期がある。いくつかのバイトを掛け持ちでやりながら学校や大学にも通っていた時期だ。携わったバイトの一つにコンビニがある。
コンビニで夜勤をしていたある時、数人の若い男性客が入店した。特に買い物をする様子でもなく、本を見たり、店内をうろうろしたりする。
夜も遅いので僕は彼らに声をかける。「何かお買い求めでしょうか」と。
客はきょとんとした顔をして、隣の仲間に「この店員何を言っているんだ」みたいなことを訊く。仲間は「万引きでもされると思ってるんちゃうか」と。客は「そうなん?」と僕に訊き返す。
僕は「そうじゃないけど、何か探しておられるのでしたらと思って」と答える。
客は「店内を見たらアカンのですか。(仲間に向かって)なあ、そういうことやろ」というようなことを言う。
僕「いや、何かお探しのものがあるのでしたらお手伝いしようかと思って声をかけたんです」
客「手伝ってくれなんて、誰か頼んだか。(仲間に向かって)頼んだか?」仲間は「いいや、誰も」
こんなやりとりが続いて、イライラした僕は「お買いものをされないのでしたら、深夜のことでもありますし、どうぞお帰り下さい」とお願いする。
客「買い物しないなんて、誰も言ってないのに。それに帰れって。(仲間に向かって)どう思う?」仲間も腑に落ちないような顔をしている。
僕「買い物されるのでしたら、どうぞ」
客「こんなん言われて、買い物する気にもなれんわ。(仲間に)行こう、行こう、こんな店は居てられへん」
そう言って、外へ出てくれたが、元々、買い物する意志はなかっただろうにまるで僕がその気を失わせたような言い方だ。まあ、出て行ってくれてそれで良かったと思ったが、何となく後味が悪い。
映画「ファニー・ゲームUSA」を観ると、あの時と同じ嫌な気分、後味の悪さを経験する。この映画、僕はすごくよくできているとは思うけれど、あまり人様にはお勧めしない。観終わってもいい気持ちにはなれないだろうから。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
もともとはこの後に映画のことが綴られるのですが、分量が多くなるので2回に分けることにしました。
相手と接していて僕がイライラしてくるという場合、僕の方の要因もあるのだけど、相手の何かが「反社会的」な傾向を有し始めた可能性があると、僕はまずそう考えてみます。「反社会的」な行為というと、すごく派手な攻撃行為を思い浮かべるかもしれないけど、実際は、もっと陰湿で、微妙で、カムフラージュされたものもあるのです。その可能性を疑うということです。
(平成29年2月)