7月26日:自我の状況依存性 

7月26日(水):自我の状況依存性 

 

 昨日に引き続いて深夜勤務後に高槻に出る。一日職場で過ごした。やることやって、夕方頃には帰ろうと思うのだけれど、来たら来たで、あれもやっておこうとか、これもやろうとか、いろんなことをやっておきたくなる。ここまでやったら今日は終わりっていう風に区切りをつけるのが難しい。 

 

 コンビニの方はイライラしっぱなしだ。不思議なもので、ローソンの方はイライラすることはあまりないのに、セブンの方は嫌気がさしている。セブンは個人が伸びないシステムになっていると僕は感じている。その代わり、ローソンの方はブラックだと感じる人もあるだろうと思う。まあ、どうでもいいか。他人の店だ。口出しはしないでおこう。 

 

 まあ、何はともあれ、勤務を終えて、駅へ向かう。自分の働いている店では買わず、駅前のコンビニで雑誌を一冊買う。電車の中で読むためのものだ。 

 週刊誌を読みながら、車内で眠ってしまう。起きては数行読み、いつしか目蓋が垂れ下がっていることに気づき、これではイカンと無理矢理目を覚まして続きを読むが、また目蓋が重くなる。これを繰り返し、いつの間にか高槻に到着。結局、読んだのやらどうやら不明になってしまった。 

 職場に入室。今日は室内の整頓をしようと思っていた。と言うよりも、僕の身辺整理の一環としてやろうと思っていたことだ。不要なものは処分する。必要なものは残す。それだけの作業だけれど、これがなかなかたいへんである。 

 今日一日でゴミ袋一杯分の不用品を処分した。不用品というのは、もう使っていないものであったり、書き残したメモとか下書きとかの類だ。 

 

 そういう作業をしながら、論文も4つほど読んだ。 

 自我の状況依存性ということを考えていた。自我はそれ自体で機能するものだけれど、状況に依存する部分もかなりある。つまり、普段なら問題なくできることが、ある場面ある状況に立たされるとできなくなるといったことが人間には生じるのである。これは自我がその状況の影響を受けているということになるのだけれど、どうして自我はそういう影響を受けてしまうのか、どうしてある場面では影響されず特定の場面でのみ影響を受けるのか、そうした疑問に今は取り組んでいる。それに関して、何か役に立つようなものがないかといろんな本や資料を漁って、めぼしいものを読んだという感じだ。 

 整頓作業をして、論文を読んで、週刊誌にも目を通して、それで一服も入れてと、こんなのをローテーションして終わったような一日だ。 

 しかしながら、夜は疲労感に襲われ、少しだけ仮眠をとる。そろそろキツくなってきたからだ。ちょくちょく睡魔に襲われ、寝落ちしてしまうこともあったけれど、まあまあ長時間起きている。今夜も深夜勤務を控えている。帰宅して眠るつもりでいたが、帰宅まで持ちそうもない。職場の室内で横になる。寝てしまう。結果、二時間ほど寝た。そこから若干の後片付けなんかをして、帰宅することにした。 

 それにしても、バイトの店では眠くなることはなくても、高槻の職場に来ると眠たくなるし、平気で仮眠を取ったりする。これも自我の状況依存性のなせることなのだろうか。などなどと考えたりもする。 

 帰宅後、夜勤を控えているのだけれど、ここで寝ると起きれなくなるかもしれないと思い、こうしてブログを書いている。書きたいことがあるわけでもなく、ただ覚醒を維持するためだけに書いている。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連記事

PAGE TOP