7月18日(金):「家が工場になっている夢」
(デジタル化)
今日は一日中、家にいて、デジタル化作業を延々とやっていた。家でやるのはVHSのデジタル化だ。放送大学の講義、人間大学、NHKなどの対談、その他、音声だけで十分というもので、尚且つ、残しておきたいと思うものをICレコーダーに入れていった。今日の作業の大半がそれで占められた。
(夢)「家が工場になっている夢」
「僕は通りを歩いていた。夜だった。この辺りに昔の僕の家があったということを思い出し、行ってみる。そこがまだ僕の家であるかのように、ついつい中へ入ってしまった。中へ入ってから、ここはもう僕の家ではないということを思い出し、慌てて外に出ようとしたら、警報ベルが鳴った。数人に囲まれた。僕は事情を説明して、みなさんに迷惑をかけるつもりではなかったのだと説明した。
「よく分からなかったけれど、そこは工場のようで、僕が囲まれたのは出荷スペースのような場所だった。その人たちは怒ってはいないけれど、少し手伝ってくれと頼む。僕もうっかりとは言え、無断で入ってきたことは悪かったと思ったので、手伝うことにする。
「仕事は、ベルトコンベアで流れてくる品物をトレイに載せていくというものだ。でも、その商品というのがすごく柔らかい何かで、持つと崩れてしまったりする。他の人たちは器用にそれをトレイに載せていくのが見えた」
目が覚めて、この夢を振り返って、すぐに思い浮かんだことは、僕にはもう帰る家がないということだ。故郷喪失感だ。かつて、僕が生き、僕の人生があった場所は、もはやなくなっているのだという感じだ。だから、夢の中の「かつての家」というのは、僕の遠い過去に属する事柄だ。
その家はすでになくなっていて工場になっている。そこは、いわば生産の拠点となっている。でも、そこで製造されているものは極めて脆くて、僕はそれをとても扱いきれていないということだ。
ずっと遠い過去であれ、それは今の僕の形成に役立っており、今もなお何かを生み出すことに貢献していると思う。しかしながら、僕はそれを上手に扱えない。あまりに脆く、曖昧で儚すぎるからだ。
そして、次に述べるように、昨日会ったクライアントに対する感情もこの夢の形成に一役買っているように思う。
(見放された青年)
今現在僕が抱えているクライアントの中で、一人だけ無料のクライアントがいる。10代の青年で、最初は親が料金を支払っていたのだけれど、両親が支援を一方的に打ち切ったのだ。
もし、彼がもう少し年長で、例えば大学生くらいだったら、アルバイトでもして、多少とも料金を支払ってもらうようにするのだけれど、年齢的にも少し無理がある。彼はカウンセリングを望んでいるのに、親の一存で支援を打ち切られたのだ。要するに、親から見放されたのだ。
この親というのは、彼の話を聴く限りでは、とても支配的な人のようだ。彼のすべてを知ろうとし、支配しようとする。こういう支配的な人は見捨てるのも速い。根本に「愛情」に関する障害を抱えているからだ。彼もそうして見放されているのだ。
だから、無料では仕事をしたくないとは思いながらも、彼を見放す気にもなれず、当面は引き受けているわけだ。
彼もまた故郷喪失感を体験しているのが伝わってくる。昨夜の夢に、それが影を落としていたのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、支配的な人は簡単に人を見捨てるのである。僕はそのことがこの数年でよく分かってくるようになった。
(平成29年1月)