7月15日(日):山道整備
島根の二日目。今日はウチの山を見に行く。これは僕と母の二人で行くことになった。父は別の用件があって、別行動となる。
今年は山道の整備をしたいと考えていた。途中まででいいので、道が道とわかる程度にきれいにしておきたかった。草々を刈り、垂れ下がっている枝木を切り払って、道が見えるようにしておくという計画だった。
母が一緒なので、あまりハードワークもできない。僕一人だったら、きっと頂上までやっていただろう。それはいつか試みるとして、今日はコースの途中までをやる。途中にぬかるんでいる個所があって、一応、そこで区切りをつけている。ぬかるみ地帯のこちら側とあちら側といった具合に。今回はその手前側をやったわけだ。
所々で厳しい場所はあったけど、全体的に見ると、思っていたほど重労働ではなかった。それなりに道がきれいに保たれているところもあった。
これで、今回の僕の目的は果たした。後は両親の予定についていくだけだ。
それにしても、田舎の人脈はすごいと思った。村の人全員知り合い同士かと思うほどだった。
それに、60年前に住んでいた人が、今も同じ場所に住んでいるといった人もたくさんいた。都会に出ることなく、田舎に留まった人たちだ。それでやっていけた時代だったんだなと改めて思った。
この辺りも人口減が激しいらしい。若い人は都会に出てしまう。田舎では仕事がないのだ。
今回、wi-fiを持って行って、いろいろと調べたのだけど、けっこうな都会なのに「圏外」と表示されていたりする。旅館でもそうだった。旅館の部屋には有線のLANしかない。この辺の人たちはインターネットをしないのかとさえ思ってしまう。若い世代の人たちが少ないと、そうなるのだろう。
父の思い出の場所がある。双川峡(そうせんきょう)という滝である。父が子供のころによく行ったそうだ。それはいいけど、父の記憶を頼りに行くものだから、道中、道に迷う。新道ができているおかげで、ずいぶん様変わりをしていたようだ。
双川峡の入り口にたどり着くも、その先は通行禁止になっている。なんでも落石の被害があったらしい。それで現在工事中とのことであるが、工事なんてなされている様子がない。工事中とか、通行禁止の看板も、古さびれている。どうやら放置されているようだ。
通行禁止になっているにも関わらず、父は入っていく。僕もついていく。長らく人が足を踏み入れていないのが分かる。コース上の草々の生え具合でそのことが窺われる。
通行禁止の個所から滝まで150メートルほどの道のりだ。橋を二つ渡る。最初の橋から立ち入り禁止になっているが、それと二つ目の橋まではまだ穏やかである。地蔵さんや歌碑が立っている。二つ目の橋から勾配が生じ、道の一部で少々荒れが目立つ。滝の向かいに小屋が建っていたそうだが、そこに落石が直撃して、小屋がぺしゃんこになっていた。
滝は壮観だった、20メートルくらいの滝で、途中の岩で水の流れが二分されていた。その下に水がたまり、川下へと流れていく。父が子供のころ、遠足でここにきて、川で遊んだり、滝を逆登ったりしたという。今の遠足とはずいぶん違って、当時は遠足も遊びも逞しいものだったんだなと思った。
その後、入院中の伯父さんの見舞いに行き、イオンでお茶をする。夕方になり、旅館に入る。夕方まで旅館には入れないから、時間をつぶしたわけだ。
旅館の僕の部屋に入ると、早速このブログを書いている。忘れる前に書いておかなければと思う。この後、昨日に続いて、原稿を書き、勉強し、いくつかの事務関係の雑用をこなすつもりだ。旅行気分は夕方まで。それ以後は、僕の日常を続けようと思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)