7月13日:武器を持つということ

7月13日(土):武器を持つということ

 

 島根に到着。天気の都合で、今日、山に行くことになった。僕の予定では明日のはずだったのだけれど、今日よりも明日の方が天気が悪くなるとのことだったので、急遽、今日に変更となった。

 こんなことなら車中で眠っておけばよかったと、幾分、後悔する。

 

 僕たちが最初にやるのはお墓の掃除である。都会のような霊園ではない。原っぱにポツンとお墓があったりする。やることと言えば、お墓周辺の除草である。

 雨のおかげで地面が柔らかい。鎌で刈るよりも、大きな草は引っこ抜いたほうが早かった。大した力も要せず、根元から引っこ抜くことができる。

 父、母、それに僕と、三人がかりで取り掛かるので早いものだ。一時間も作業すると、墓も周辺もすっかりキレイになった。

 

 それから僕は山へ。父は車で待機しているとのこと。母は僕についてきた。

 当初の予定では、山へは僕一人が行くことになっていた。行くのはいいけど、独りってのは心細いなと感じていた。人が通らない山なので、寂しいだろう。それに道は荒れているし、熊とか出てくる場所なので、正直言って、現地に行くまでは怖い思いがあった。

 しかし不思議なもので、現地に行くと覚悟が決まるのか、今度は逆に、早く山に入りたいと気が急くのである。

 もう一つ気づいたことがある。今回、道をきれいにするために草刈りの鎌を持って入山した。この鎌が心強かった。もし、大きな動物の遭遇して、万に一つでも襲われたりしたら、この鎌で戦おうという気持ちになった。思い切り、この鎌で一突き入れてやると、動物の方がまいるだろうと思った。要するに、「武器」がもたらす心的作用は意外なほど大きいということに気づいたのだ。

 何となくなけど、どうして武士や兵士が勇敢に戦場に行けるのか、その気持ちが分かるような気がした。武器を持っているからである。この武器が安心感を与えてくれるのだと思う。

 そういえば、「派出書」(「こち亀」と言った方が分かりやすいか)にもボルボ西郷なんてキャラがいたな。体中に武器を仕込んでいるのだけど、丸腰になるとてんでダメになってしまうっていう警官だ。案外、人間ってそんなものかもしれない。

 さて、山道を歩いていると、イノシシが地面を掘り返した跡を何度か見かけた。こんな所にも出没するのだと思った。もっとも、昼間はイノシシと遭遇することはないので、怖くはないが。他にも、やや大型の動物が藪の中を逃げていった。キツネかタヌキか分からんが、かつては人間の仕事場だったこの山も完全に動物たちのエリアになってしまっているようだった。

 水はけが悪く、水路を作ろうとしていた場所は、さほどでもなかった。去年は豪雨の後だったので特に水が多かっただけかもしれない。この作業は一旦、保留にしておこう。

 下山。山を下りながら、山道の写真を撮っておく。適度に立ち止まっては写メを撮る。その間も僕は「武器」ということを考え続けていた。「自信がない」と言う人は、自分の中に「武器」を持たないからだと思うようになっていた。そして、僕自身ももっと「武器」を身に着けなければと思う。身に着けるだけでは不十分で、その「武器」は定期的に磨かれなければならない。もちろん、ここで言う「武器」とは殺傷能力のある武器という意味ではない。知識とか、経験とか、技術とか、そういったものだ。人格も武器になるのだ。一つ、僕の中にテーマが生まれる。

 

 父が休憩したいと言うので、僕たちは蟠竜湖に向かう。朝食も取る。

 最初にここに来た時、僕は松葉づえをついていた。だから、周辺を歩くことができなかった。今回、一つ歩いてやろうと思った。

 湖の中央に対岸へ渡る橋がかかっている。そこから散策路が伸びている。天気が悪いのと朝が早いのとで、他に歩いている人は見かけなかったが、よく整備された道が続ている。ただ、階段がやたらと多いのであるが、ちょっとした運動にはいい。

 散策路の突き当りは円形の広場になっていて、ベンチが数台設置してある。そこから道が二分する。右へ行けば登り、左は下りである。どちらもぐるりと一周して元の地点に戻るのだけれど、雨が降ってきたので、下り道を取る。

 この下り道はアスファルト道で自動車が入れるようになっている。一度、公園管理の自動車とすれ違った。雨のため路面が滑りやすくなっているので、幾分、ゆっくり歩く。

 この下り道のゴールは広い公園である。けっこうな広さだ。公園を縦断して道路に出る。自動車はここまで来れる。バス停もある。ありがたい、灰皿がある。僕はそこで一服して、その後のコースを考える。ここからさらに登り道を取ると、柿本神社に行き着くらしい。そこまでは行こうとは思わないので、道路を歩く。

 道中、「まほろばの園」と名づけられた庭園風の広場を眺め、「人麻呂展望広場」に上がって景色を楽しむ。後は車道に沿って歩いて、湖の駐車場まで出る。

 なかなかいいコースだ。今度、ここに来ることがあったら、反対側、つまり円形広場から登り道を歩いてみたいし、柿本神社までの道も歩いてみたい。

 

 両親と合流して、親戚の家に行ったりする。

 近所の神社にも行く。母には何かと思い出があるようだ。今は寂れているけれど、かつてはこの神社境内に子供たちが集まったりしたのだろうし、村の行事なんかも行われたのだろう。

 その後、入院している伯父の見舞いにも同行するが、僕は別行動を取った。どうも病院の中に入るのは気が進まなかったし、弱っている伯父さんを見るのもイヤだった。僕は病院周辺の道をひたすら歩く。ともかく歩きづめの一日となる。

 それから母の旧友を訪れるために駅方向に向かう。益田駅だ。僕はいつか一人で来た時のために、いろいろ資料を収集しておこうと思った。駅の時刻表とか、バスの路線図とか、あと周辺で利用できる店とか設備とか、そういうものも見ておいた。

 

 その後旅館に入る。両親は二人部屋、僕は個室。これは例年通りだ。

 部屋に入ると、僕はこのブログを書き始め、さらにジャネの本を読む。テレビはあるけれど、何も観ない。静かに本を読んで過ごす。

 夕食、食後の散歩、そしてゆっくり入浴。もちろん、寝る前のスーパードライも欠かさない。こうして、長い一日を終える。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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