7月12日:不満足な面接

7月12日(土):不満足な面接

(不満足な面接)
 今日はそれなりに充実した一日ではあった。不満足なこともあったけれど、全体的にはまあまあ良かったのではないかと思う。特に素晴らしいことも起きなかったけれど、最悪のことも生じなかった。
 土曜日は少し忙しい傾向がある。それもいいことだ。だから土曜日は仕事で一日が終わる。
 午前中に来られたクライアントだけが若干の後味の悪さを残した。なにしろ、予約を受けた時点では二人でお見えになられるという話だったのに、当日になって三人で来たという。
 三人が入って来られた瞬間、僕はこれはカウンセリングにはならないなと感じたが、案の定、そういう結果になった。全員不参加、全員不関与の面接となった。意味がなかった。それでもしっかり料金だけはいただいたがね。
 この三人は「問題を抱えているとみなされている」一人の同僚について相談に来られたのだ。それは構わない。でも、こちらが質問しても、返ってくる答えは彼らのものであり、その人のものではない。また、僕が欲しいと思う情報は彼らでは把握できていない。
 できることなら、その人と一番親密な一人、あるいは一番距離の近い一人だけから伺う方がよかった。その方が賢明だった。

(脱法ハーブ)
 脱法ハーブのことが社会問題化している。これを吸引した人が事故を起こし、被害者や死亡者が出ているためだが、いささか社会問題化するのが遅かったように思う。
 この脱法ハーブというやつだが、作っている側もどんな作用が起きるのか分かっていないのだ。だから販売する側は絶対に吸わないと言っているそうだ。
 そして脱法ハーブそのものを目的にして吸引する人は少ないらしい。吸引してセックスするとすごい快感が得られるので、そのために使用しているとか、そういう利用のされ方をしているそうだ。
 でも、その快感は薬物によって手にしたものだ。それがどれほどの快感、エクスタシーであれ、その人の内から生じたものではなく、その人が創造したものでもないのだ。自己を放棄し、薬物に隷属することで得ただけのものだ。だからその場限りで終わる体験なんだと思う。
 依存性がある行為というのは、僕は酒もタバコもやるから分かるのだけれど、それで満足が得られるから依存するのではなく、満足が得られないから依存傾向を強めてしまうのだ。仮に満足が得られても、それは一時的なもので、その場限りの満足なのだ。だからその満足体験は個人の中で蓄積されていくことがないのだ。何もその人を満たしていかないのだ。
 セックスで快感を得ることは何も悪いことではないのだが、できればきちんとパートナーになって、そのパートナーとお互いに快体験にしていくように努力、工夫していく方がいいと思う。それは一つの創造性だと思う。だから、性生活がマンネリ化している夫婦は、お互いに創造性を発揮できていないのだと思う。
 パートナーのいない人は、そういう相手を探すよりも、そういう商売をしている人を「買う」ということをする。手っ取り早い方を選択するわけだ。脱法ハーブを吸引してセックスしようという男性は必ず相手の女性を「買って」いると思う。どちらも手っ取り早いからだ。そして自分の快感だけを最大限に得ようとしているのだから、相当「自体愛」的だという感じがする。
 脱法ハーブを法的に規制するということも大事だけれど、それを利用する人、それに惹かれてしまう人が「自体愛」段階から成熟していくということも大事だ。そちらの方がむしろ優先されなければならないとも思う。

(今日の終わりに)
 きちんと生きようと思う。だけど、それがいくら正しいことであっても、物事を完全主義的に、強迫的に行うのもよろしくない。必要なのは柔軟さだとも思う。
 仕事が割と忙しかったので、あまり本は読んでいない。勉強は少しできた。それで一日が終わったという感じだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 団体でどやどやと押しかけられた日か。そういうことがあったな。こういう人たちが上司や同僚にいると、「心を病む社員」も苦しいだろう。なぜなら、その人は違ったふうに見られることがなくなるからである。常に「病者」とか「問題児」として見られるからであり、当人はそれを自己のアイデンティティに取り入れていかざるを得なくなるからである。
(平成29年1月)

 

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