7月11日(金):チャーチルの本
(昨日、その後)
昨日はとにかく酒は飲まなかった。蒸し暑かったので、冷たいビールの誘惑が脳裏をよぎったが、仕事が終わると、とにかく一目散に帰宅した。
昨日のことでもう一つ。時々、僕はこれをやってしまうのだが、お昼ご飯を食べ忘れてしまった。朝から動き、予約のキャンセルがあったけれど、ずっと原稿を書いていた。このブログに、Q&Aが一つ、テーマを一つ書き上げた。午後からは電話が多かった。そのうちの一人とは少し長話してしまった。
そうこうしているうちに夕方になり、資料を取りに来たクライアントと会い、それから最終枠の面接を行う。この間に間食しただけだった。
(タバコ)
一つ気づいたことは、激しい空腹時にタバコを吸うと、ものすごく気分が悪くなるということだ。最近、喫煙する女性が多くなったと聞くが、それはダイエットのつもりらしい。確かに喫煙すると少々の空腹感はごまかせるけど、激しい空腹になるとそれは通用しないものだと分かった。
タバコを止めると太ると言われているけど、本当だろうか。僕の周りで、タバコを止めた人たちは確かに太った。でも、一定以上は太らない。みんな、もっと太ってもよさそうなものだが、そうはならないのだ。ある本によると、それは活動量が増えるからだということらしい。
喫煙中は、言われてみれば、特に活動しているわけではない。思考したり、会話したりはしているけれど、その間の身体的な活動量はむしろ少ない。だから、喫煙してダイエットするよりかは、非喫煙で活動量を増やす方がよりダイエットになるのじゃないだろうかと、そう思う。
(チャーチルの本)
昨夜からウィンストン・チャーチルの『わが思想・わが冒険』を読み始めた。
この本は、僕のカウンセリングのお師匠さんの家の近所にある古本屋さんで買ったものだ。師匠と会う約束の時間にまだ間があったので、ふらりと店に入ったのだ。そしてこの本を見つけ、手に取り、何気なくページを繰る。第1章を読んで、すっかり魅了されてしまった。即座に購入した。
ところが、よくよく考えてみると、僕は政治的な事柄、外交や世界情勢に関する事柄は得意ではなかったのだ。ましてやイギリスの話なのだ。それで、当時のイギリスの状況や外交の話になると、まるで面白味が感じられなくなり、ついに途中で放り出した本だ。今回、再チャレンジするけど、頑張って最後まで読み通そうと思う。
僕が魅了された第1章は「人生のやり直し」というタイトルが付されている。自分の人生がやり直せるとしたらという仮定で話が展開する。この章の最後の二段落を掲げようと思う。
「このように私の半生を振り返って見て、人生をやり直そうという気には到底なれない。私の過去は幸福で、精彩に溢れ興味に満ちたものであったには違いないが、苦労と危険の道を二度と踏みたくはない。別種の過失、別種の冒険、別種の成功―そんなものさえ私には魅力がない。これまで私は概して幸運によって救われてきたが、これから先き危険に見舞われた時にも運命の神が私の上に微笑むに違いない、とどうして楽観できようか」
「お互いに過ぎ来たし人生で満足し、惜しみなく与えられた物に対して感謝の意を表しようではないか。われわれがその中で動いている自然の理法をあっさり受け入れようではないか。空間と時間から成るこの世界にあるに違いない運命の神秘的なリズムに身を任せようではないか。喜びは大切にしまいこみ悲しみはさらりと忘れ去ろうではないか。輝かしい光には必ず影が伴うものだ。人生は有機的統一体である。良きこともあれば悪しきこともある。楽しい旅路であった。やり甲斐があった。しかし、一度だけで沢山だ」
人生の最後にこういうことが言えるような生にしたい。僕は本当にそう思っている。
(タバコ)
大学生の頃はタバコは吸っていなかった。クリニックに勤め始め、そこの先生と飲みに行くときに少し吸った。以後、酒を飲む時にはタバコを吸うようになった。僕の場合、一人で飲むから、タバコがないとそれこそ飲んでばかりになる。だから、当時のタバコは口休めの感覚だった
クリニックをリストラされた後、アルバイトで食いつないだ時期がある。いくつかのバイトを掛け持ちして、それに加えて、カウンセリングの学校と実習と教育分析をやっていたし、放送大学にも通い始めた。
すごく多忙な日々を送っていた。特にアルバイトでは深夜勤務もやるようになっていたので、そのころからタバコの本数が増えた。この時期のタバコは眠気覚ましだった。
振り返ってみて、僕の好きなことで、タバコと被っていないものは何だろう。酒とタバコは完全に結合している。心理学らしく言うなら学習や連合が成立しているということだ。タバコとコーヒーもそうだ。タバコと結びついていないのは何か。
登山もダメだ。山頂で吸うタバコは格別だなんて言ってたくらいだから。歩くのはいいかもしれないな。あまり歩きタバコはしない。
ミステリもいいかもしれない。僕は大の推理小説好きだった。中学、高校時代がピークで、大学時代はその他のジャンルも読むようになっていったし、クリニック時代、アルバイト時代はほとんど読むことがなかった。だからミステリはタバコと時期的にずれていて、ミステリを読みながらタバコを吸うというのは、あまり経験がない。学習が未成立だ。
こうしよう。喫煙欲求が生じたらミステリを読もう。我慢するのではなく、他のことで満足をもたらさないといけないのだ。それもタバコと等価かそれ以上の満足が得られるものでないといけない。
そこで考えたのは、短編ミステリを読もうということだ。一話読み切った満足感は、きっと一本吸い終わった満足感と匹敵するだろうと思う。もし、禁煙を開始するなら、これでいこう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
チャーチルの本はいい本だと思う。第1章に魅了されて購入したのだけど、その第1章だけでも買う価値があると思う。これほど人生の肯定はないんじゃないかと思う。あと、ミステリ作戦は、やはりうまくいかなかった。
(平成29年1月)