7月11日(金):『影丸極道帖』
(『影丸極道帖』)
昨日、角田喜久雄の『影丸極道帖』を読み終えた。上下二段組みで430ページの長編だ。10日で読もうと計画していたけれど、結局6日くらいで読み終えた。それだけ面白いのだ。これだけ面白い本が、今、普通に本屋さんで売られていないなんて、日本は間違っているとさえ、思ってしまう。
物語は引退した奉行所の役人白亭と現役の三平が朝風呂で出会う場面から始まる。江戸を騒がした悪党である影の影丸が逮捕されたことが話題になる。
志賀三平には志賀家に養女として迎えられた小夜という妹がいる。血こそつながっていないが、二人は本当の兄妹のような関係だった。この小夜が白亭の息子の源太郎と結婚することになっている。つまり、三平は白亭の義理の息子になる。こういう関係である。
風呂から出ると、雨が降っており、傘を持ってきた小夜が現れる。白亭は気を利かして、三平と小夜を二人きりにさせる。その時、小夜は「影丸が捕まったというのは本当か」と三平に尋ね、さらに、「それは本物の影丸か」と尋ねる。この小夜の一言は物語全体の軸となるものだったことが最後の方で分かる。
その後、影丸が脱走し、偽の手紙でおびき出された小夜が誘拐されるという事件が発生する。それからは事件が錯綜し、また、捜査によって新事実が次々現れ、多くの人物が登場して作品を彩り、物語が豊かに発展していく。小夜と影丸の秘密、影丸の復讐、六年前の影丸がお美代の方に犯した罪、さらには出世のための陰謀事件までが絡んでくるという盛沢山な内容だ。活動的な女性陣たちも魅力だ。
もし、本書を読む機会があれば、是非とも、三平と酒田左門に注目して読まれることをお勧めする。実際、この二人を中心に物語が組まれただろうと思う。
最後に、白亭が影丸の正体を暴く。復讐の鬼になってしまった影丸に白亭が投げかけるセリフが素晴らしい。
「手前ほどの野郎が、何故、こんな、ぶざまな足の踏みすべらせようをしやアがったんだ。手前の恨みつらみは分かる。手前の憎悪は、そのまま俺の胸にも響いてくる。だが、手前だけじゃアねえんだぞ。手前よりも、もっと、苦しい憎悪を、こらえ抜いて生きているやつだってあるんだぞ。そこで、踏みとどまるのが、まっとうな人間なんだ。踏みとどまり、及ばずながらまっとうな手段により、少しずつでもこの人間社会を、よくしてゆこうと努力するのが人間なんだぞ。手、手前は、それを・・・・」
このセリフは僕にもジンと来たし、今この瞬間にも憎悪に燃える人たちにも、この言葉を送りたい気持ちになる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
いい作品だった。角田喜久雄の時代小説はとにかく面白いと思う。プロットが錯綜している上に、次々と怪しい人間が登場したりする、その人物相関図もよくできている。そして、胸を打つ場面やセリフに出会うこともある。
(平成29年1月)