7月10日(木):「果樹園へむかう夢」
(夢)「果樹園へ向かう夢」
今朝、夢を見た。こんな夢だった。
「僕は歩いている。目の前の遠くの方に果樹園がある。そこに行けばこの息苦しさがましになるということが分かっている。僕はそちらに向かって、ただ一人で歩いている」
こういう夢だった。果樹園というのは、夢の中ではそういう感じだったということだ。自然の森林という感じではなかった。
息苦しさということに関しては、これを見た直後に寝苦しくて目覚めたのだ。蒸し暑くて、息苦しい感じがしていたので、夢にも影響したのだろうと思う。
でも、この息苦しさは外部の環境だけではないとも思う。私自身が何か息苦しさを体験しているのだ。
果樹園。明確ではないけれど、そんな感じだったということだが、そこに行けば息苦しさから解放されるということが夢の中では分かっている。この「果樹園」は楽園のようなものであるようだ。
前夜、飲み屋で台風のことが話題になった。沖縄の農家の人たちは打撃を蒙っていて、マンゴとか被害が出るのだろうなと客の一人が言っていた。そして、その対策に税金が使われてしまうのだろうとおっしゃっていたが、僕はそれを聴いていて、その税金は必要なものではないかと密かに思っていた。
また、果樹園ということで思い出すのは、僕の子供時代だ。子供の頃「カリフォルニアに行ってサンキストオレンジを作る」と、僕はしきりに言っていたそうだ。あまり記憶にないけど、母たちから時々耳にする。なぜ、カリフォルニアだったのだろう。「カリフォルニアの青い空」なんかが流行っていた時代の影響もあるかもしれない。とにかく、子供の僕にとって、そのどちらもが「いいもの」だったのだろう。カリフォルニアもサンキストオレンジも。僕にとって「いいもの」に向かっていきたいということを当時の僕は言っていたのだと思う。
こう考えると、夢の中の果樹園は僕にとって「いいもの」の象徴であるし、失った何かでもあるようだ。僕はそこに自分を解放してくれる何かがあるのだと信じている。僕はその方向に向かっている。ただ、夢の中では、この距離ははっきりしなかった。もう少しで到着しそうなのか、それともまだまだ距離があったのか。その部分がもう少し見えていたら、僕は今どれくらいの地点まで来ているのかが把握できただろうにと思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
前回の「山火事の夢」に比べると、危機感がはるかに減少した感じがする。火に包まれた山は果樹園に、子犬は果実群に移行しているよう。何よりも、この夢には救いがある。果樹園まで行けば大丈夫だという安心感が見られる。
(平成29年1月)