6月30日(金):今年も半分終わり
今日で6月も終わり。今年も半分が過ぎたことになる。僕自身、多少は進歩しているだろうか。それはさておくとして、今日の記録を残しておこう。
昨晩から今朝にかけてはアルバイトだ。雨の中を出勤並びに移動しなければならず、たいへんではあった。なんとか雨がましになるのを見計らって動くようにした。
勤務そのものはたいへんだった。僕の中では不完全燃焼だ。そういう心残りがあるからか、店に忘れ物をしてきたことに気づく。落ち着きを失っている感じもする。
勤務後は帰宅して、少しだけ眠る。
寝たのは朝の9時ころだった。それから起きたのは昼頃だった。3時間ほど寝たことになる。だんだん体がそうなってきているのを感じる。3時間くらい寝て起きて半日活動し、また3時間くらい寝てから半日活動する。一日に二回寝起きをする。それが理想だ。なんとなく体がだんだんそれに馴染んできている感じがするわけだ。
ただ、起床後は調子が悪い。体が重たく、全身が目覚めるまで少しばかり時間を要する。しばらくするといつも通りに動けるようになってくる。
月末ということもあって、忙しい。14時ころには家を出て高槻へ向かう。少し出遅れている。急いだけれど、銀行には間に合わず。またいろんなことが遅れてしまう。
それからは消耗品とか必要品を買いに回る。用事を終えると夕方になっていたけれど、お昼がまだだったことに気づく。某店でお昼を食して、くつろぐ。
店を出て、再び歩き始める。ふと、ケータイを開くと、なんてこったい、電話がかかってるではないか。見覚えのない番号だ。かけてみる。つながらない。留守番電話に吹き込んでおく。
数分後、その番号から電話がかかってきた。仕事の話だったらいいなと期待して、電話を取る。なんでことはない某業者だ。
企業の福利厚生でカウンセリングを引き受けてくれないかという内容だ。「断る!」と言い放って終わり。
福利厚生でカウンセリングを受けられるようになったとしても、僕の方に損失が大きい。例えば、それを引き受けるとして、こちらが100万円支払うとしよう。まず、回収できない上に、その3倍くらいの損失が僕の方に生まれるのだ。
詳しく言おう。まず、福利厚生でカウンセリングを受ける人は動機づけが低いだろうと僕は捉えている。実際、そうなのだ。無料だから受けてみようかとか、そういう感じで来られる人がおられるのだ。そういう人をたとえ一回でもカウンセリングをすると、まず、「悪く」なってお帰りになられるものなのだ。
仮に、いい体験をされたとして、継続した場合、福利厚生で賄うのであれば、その費用は企業がもってくれるわけだ。言い換えると、続ければ続けるほどその人が得をするという状況が生まれるわけだ。これがまた良くないと僕は考えている。
つまり、動機づけの低いままダラダラと続けるということは、その人はそれだけ問題なり症状なりを持続させなければならなくなるのだ。症状や問題が却って長期化することになる。クライアントが身銭を切るというのは、治療的にも意義があることなのだ。福利厚生でやりましょうと引き受けるカウンセラーがいるとすれば、そのカウンセラーはかなり低レベルのカウンセラーだと僕は信じている。少なくともまともなカウンセラーならそんなものは引き受けないだろう。
その他、福利厚生なんかでカウンセリングをしなくても、企業内には産業カウンセラーさんを置いているところもあるだろうから、そちらを利用する方がいい。また、必要な人は自分でカウンセラーを探すものだ。「福利厚生があるから受ける」ではなく、「このカウンセラーが気に入ったから受ける」の方が絶対にいいと僕は思っている。
ともかく、くだらん電話に付き合わされた。
夜、いつもの呑み屋に顔を出す。楽しい時間を過ごしたが、僕自身は荒れ模様だ。当分、彼らと顔を合わせることはなさそうだ。僕の方が忙しくなるからだ。今のところ、彼らと縁が切れても悔いはない。
6月最後の一日を僕はこうして過ごした。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)