6月3日(月):自然に任せて
夜勤を終えて、その足で高槻まで出てきて、事務所のビルが開くまでの時間を喫茶店で待つ。ついでにブログも書いておこう。24時間、一睡もしていない。こういうのにも慣れてきた。キツイ状況でも身体はそれに適応するようにできているものだ。
一晩中立ちっぱなしだったので、足が疲れているけれど、まだまだ働ける。
いささか声が出し辛い。タバコを吸うからだけど、喉を休ませていないせいもあるだろう。
あと、膝の具合が若干よろしくない。若いころ、陸上部で走り込んで以来、膝と踵の具合が悪くなることがある。足を使いすぎた後になる。これも毎度のことなので、僕の中では大して問題視していない。
心も身体も、自然に任せるのが一番だと僕は考えている。無理をして痛みが生じたのなら、その痛みをそのまま甘受しようと思う。そして、回復のために少し休ませる。意図的に心身をコントロールしようとは思わない。
人は自分の心身をコントロールできているようで、実はごくわずかな部分だけしかコントロールできていないものなのだ。自分でコントロールすることのできない無意識の領野がどれだけ広大であるかを僕は理解しているつもりだ。
身体も同じだ。太る時には自然に太るし、痩せる時には自然に痩せる。負担のかかった部位は安静にしていれば自然に回復する。身体を無理にコントロールしようとしても、それはできないものだ。
昨夜、夜勤に向かう途中、地元の飲み屋で会う飲み友達とばったり出会った。彼は今から飲みに行くのだと言う。
その彼であるが、前科があるけれど、なかなかいい奴だ。残念なことに、彼は肢体不自由で、それさえなければ一緒にバイトしたいと僕は思っていた。一時期、彼が無職だったので、僕は一緒にバイトしようと誘ってみた。彼はすごく喜んでいた。どの時間帯でも働くと勢いづいていた。でも、身体の障害がネックだった。彼の体でこのバイトは、彼にとっても酷なのだ。
バイトに誘っておきながら、それがダメだということを彼に伝えるのは気が引けるなと感じていた。彼に「やっぱり、アカンかったわ」と言うことがどうしても憚られたのだ。期待だけさせておいて、裏切ったというように思われはしないかと僕は気が気でなかった。
それ以来、僕は彼を避けるようになった。でも、狭い地元のこと、やっぱり飲み屋でばったり顔を合わせてしまうのだ。彼は僕に話しかけてきた。僕はばつが悪いような思いで応対した。しばらくして、僕は彼にアルバイトの件を覚えているかと尋ねた。彼は覚えていた。「返事をしようしようと思ってそのままだったけれど、やっぱり」と僕が言い淀んでいると、彼はすぐにそれを察してくれた。彼は気にしないと言う。
それ以来、彼とは以前のような友達付き合いをしている。
僕を恨んでいる人や敵対視している人もある。同じように仲良くしてくれる人たちもいる。出会う人たちはみないい人たちだと最近は特にそう思う。僕を恨んでいる人たちとも、時期が違えば、敵にならずに済んだかもしれないなと思うようになっている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)