6月3日:代理満足で

6月3日(日):代理満足で

 今日は午前中にパソコン作業をやってみた。何かをアップしたとかではないけど、自分のサイトも少しだけ見直してみた。ホント、何が何やら分からんサイトだなと思う。

 午後から面接を行う。昨日変更になったクライアントだ。

 その後の、夕方のクライアントが変更となる。なんだか体の具合が悪いそうだ。まあ、仕方がない。病弱な方なので、過去にもこういうことがあった。

 そんなこんなで、今日は夕方から時間が空く。腰痛はましになっている。もう安静に過ごすつもりはない。サイトの原稿を書いた。

 DVに関する項目で、「負けるな加害者」と題し、4ページ分(A4で12枚程度)のものを書いた。2時間で割りとよく書けたなと思う。まだ続きを書く予定だ。

 僕は「加害者」側の人とお会いすることが多い。「被害者」側からすると、僕は厳しい人間に見えると思う。そう見えて構わない。僕は「加害者」側の人を支援していきたいと思う。

 なぜ、こんな題名の項目を書こうと思ったのかと言うと、「加害者」たちの認識が甘いと感じるからである。どこかに現実を否認したい気持ちがあるのかもしれない。そんな人に対して、現実に直面化させるようなことを書いている。多分、「加害者」側からも厳しい人間だというように映るのだろうな。

 DVなんて問題は、最初の一回目の暴力が発生している時点で大問題なのだ。通常の関係では滅多にそういうことは生じないものだと僕は思う。だから、最初の問題発生時点で当事者はもっと真剣になった方がいいのだ。しかし、たまたまそうなったとか、一回ぐらいだったら許してもいいかといった、認識が双方に生まれる。これも認識の甘さの一つなのだ。

 暴力はあくまでもサインである。それが生じる時点で、双方の関係に良くない何かがあるということなのだ。そして、彼らはその良くない何かを、結果的に、育ててしまう。暴力に目を奪われると、そこはますます見えなくなると僕は思う。

 基本的に、僕も含めて、現代人はどこか未熟なのだ。その未熟さが問題を引き起こしてしまっているのだ。僕はそう思う。

 ロジャース派のカウンセリングは、1940年代、50年代の人には適合していたかもしれないけど、現代ではそのままでは通用しなくなっているかもしれない。僕はつくづくそれを思う。ロジャースのクライアントは、その逐語録を読む限り、素晴らしく自己表現しているように思う。僕のクライアントでも、そこまで自己を言語的に表現できる人は少ない。いや、ほとんどいないと言ってもいい。

 そう、だんだんそれができなくなっているのだ。もしかすると、かつては普通に人々にできていたことが、僕たちには難しいというものがあるかもしれない。60年前、70年前の人たちと、現在の僕たちとの間には、想像以上の開きがあるのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、今日、一日を終える。

 この後、ちょっと飲みに行こうかと考えている。ハラも減ったし、何か食べたいと思う。満たされない一日を、こうして代理満足でごまかすわけだ。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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