6月20日:無事がなにより

6月20日(水):無事がなにより

 朝は早く出勤。8時過ぎには入室していた。それで昨日の復旧作業の仕上げをしておいた。プラスチックのケースが破損して、細かい破片が散らばっているのをきれいに掃除した。踏んづけても刺さるなんてことはないけど、チクリとするからきれいにしておきたかった。

 月曜日に来る予定だったクライアントが今日来られた。嬉しいことだ。

 今日の晩のクライアントはキャンセルとなった。なんとなく、そうなるだろうという気がしていた。

 その他、動画広告の話も変更なくやっていけそうだ。また、この動画広告で室内を撮影するかもしれないので、一応、整頓しておくことにする。もっとも、この整頓は何日にも分けて実施しなければならないだろうけど。

 後は、サイト原稿を1ページ分書く。事例抽出も実施。この事例抽出というのは、本を読んでいて遭遇した事例を書き出すというもので、初期の頃はよくやっていた作業だ。これを集大成してサイトに上げてもいいなと思い始めている。

 今日の作業は概ね以上のようなところか。

 夜はその辺を歩く。これは昨夜もやった。ガスが止められているために多くの飲食店が閉店していた。いつもは明るい通りも寂しい限りだ。なんだか将来の高槻を暗示しているようで、僕は居心地が悪かった。

 いつものバーが開いていた。今日は飲む日ではないけど、見舞いがてら入ってみた。やはり多少の被害はあったようだ。それでもまだましだったようで、聞くところによると、かなり壊滅的なダメージを受けているお店もあるようだ。ダメージの大きかったところほど、復帰が遅くなるものだ。

 しかし、地震の被害というのは、どうしてああも局所的になるのだろう。僕はこれが不思議である。家屋なんかでも、周囲は全然大丈夫なのにその一軒だけ崩壊しているとか、他の部屋はほとんど大丈夫なのにその部屋だけメチャクチャになっているとか、その両隣は大丈夫なのに三つ目の棚だけ倒れているとか、どうしてそういう局所的なことになるのだろう。

 僕の職場も南東の一角だけ被害があった。その一角だけ物が落下して散乱していたのだ。他はまったく無傷なのに。「なんで、ここだけ」と思った。

 ガスが止まると風呂に入れないとマスターが言ってたな。そうか、お風呂の問題もあるんだ。水道は止まっていないのだから、今の季節だと、僕は水シャワーでも十分なんだけど、人によっては湯に浸かりたいって気持ちがあるんだろうな。

 まあ、ガスの復旧には時間がかかるとも聞くし、それまで待つしかないのだろうな。飲食店にとっては打撃だけど、仕方がないことでもある。

 ともあれ、僕の友人・知人たちが無事なのは何よりである。飲み知人の家族の方に不安性障害のような徴候が確認されたけど、治療を受けているらしいので、大丈夫だろう。とにかく、生きているってことが大事なのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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