6月17日(金):手術譚(1)
昨日、平成28年6月16日は、僕の人生で一つの記念日になった。僕は人生で初めて「手術」なるものを経験した。今まで未経験だったことは幸福なことなのか、あるいは不幸だったのか、今ではなんとも言えない。ただ、初体験の手術は、それなりに苦痛に満ちたものでもあった。そうは言っても、おそらく、一般的に手術につきものの苦痛の域は出ていないとは思うけど。
朝のことから始めよう。9時以降は食事も水分補給も禁じられていた。それまでに大量の水を飲んでおいた。
午後、点滴を打ちに看護師さんたちが入室。この時、左手の注射を失敗される。右手に点滴となる。注射を失敗されると、指先とかに痺れが走るので、困ったものだ。この時も、左手に痺れが生まれた。
手術時間まで、この点滴を打ち続けるとのことだった。そのため、ゆっくり、一滴ずつ落ちてくるようにしてあった。僕は、その後、何度も点滴を見ては、一滴ずつ落ちていくのを確認した。止まることなく進行しているなと思った。
看護師さんが来たとき、その速度が遅いと気づいた。僕には判断ができない。それくらいの速度で落ちるようにしてあるものだと信じていたし、少なくとも、僕が確認した時には、ゆっくりとではあれ、一滴ずつ落下していた。こういうことが不安を高める。
医師やスタッフたちを悩ませたのは、僕の熱だろうと思う。この熱は原因不明であるそうだ。怪我をしているからだろうということだけど、この熱が上がったり下がったりするのだ。
前夜もそうだったし、今回も38度台まで熱が上がった。手術前に、とにかく体を冷やせということで、看護師さんたちも駆け回っていた。この手術前の高熱は、僕は手術に対する無意識的な抵抗であるかもしれないと思い、ひたすら、手術をすることは大切なことだ、ここを通過できないようではいけない、手術は決して恐ろしくないなどと、自分に言い聞かせていた。
熱が何度以上だと手術はアウトですかと、僕は看護師さんに尋ねた。答えは、アウトにはならないと言う。高熱でもなんとかして熱を下げて、手術はするだろうとのことだった。それを聞いて安心した。無意識の抵抗も、無駄な抵抗に終わるからである。
予定では午後3時からだった。しかし、前の手術が伸びているということで、僕は待たされた。それは両親も同じだった。一体、いつになったらゴーサインが出るのか、まったく見えなかった。
看護師たちも同じだ。医師からの連絡を受けて、初めて動くことができるからである。看護師の方から手術中の医師に確認することはできない。すべては医師の連絡にかかっている。
予定の時間が過ぎるほど、僕は緊張していった。不安に襲われ始めた。しかし、これも不思議なもので、待たされれば待たされるほど、いい加減、さっさと終わりにしようという、ヤケッパチな気持ちが生まれてきた。ゴーサインが出た、ヨシッ!と、まるで自分から飛び込んでいきそうな勢いだった。
ゴーサインが出たのは、17時前だった。およそ2時間遅れのスタートとなった。再び病室に帰ってくるのは20時前だった。およそ3時間。この3時間に起きた出来事は次回に書こう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)