6月16日:書架より~『黒い聖母と悪魔の謎』 

6月16日書架より~『黒い聖母悪魔の謎』 

 

テキスト 

 『黒い聖母と悪魔の謎』(馬杉宗夫 著 講談社学術文庫) 

 

 古代から中世のキリスト教芸術に登場する異端的な表現を解読している、とても興味深くて、読みだしたら止められない本だ。芸術、絵画表現についても学べ、キリスト教の歴史にも触れられ、何よりも、象徴表現についての理解の質を高めてくれるとてもいい本だ。 

 著者の取る方法は「図象学」と呼ばれるものである。図象学とは、「造形芸術に表現された主題を判定し、その意味・内容を解読していく研究領域」(p6)と定義されている。 

 あまり学術的に構えなくても、例えば推理小説を読むような感じで読んでも、本書はとても面白い。ここにあるのはすべて謎解きの過程である。 

 最初に「悪魔」の表現が取り上げられる。当時、聖書を読める人はごく限られていたので、一般の人に対しては、聖書の世界を絵や彫刻で提示していた。悪魔は聖書には随所に登場するが、具体的な形象は示されていない。そこで、悪魔の表現はすべて作者の想像によるものであり、それがどのような悪であるのかは象徴的に表現されている。 

 2章では「黙示録」、3章で「右と左」の象徴を扱う。 

 4章の「黒い聖母像」並びに6章「目隠しされた女性像」は、各々興味深い内容であるが、同時に、キリスト教における女性観をも垣間見る思いがした。 

 5章では「横顔」の意味を考察している。7章では「葉人間(グリーン・マン)」を取り上げている。この二つの章は個人的に興味深く読んだ。ある人は夢の中で横顔しか見せない人物を見ている。別の人は自分の体から茎が伸びていくという夢を見ている。これらの夢の報告を受けた時、僕はとっさにはその意味するところが分からなくて、困惑した覚えがある。本書で、少しでも、理解の手がかりを得たような思いがした。 

 8章では「ガーゴイル」の意味を取り上げる。これは1章の「悪魔」表現と相通じるものを感じる。ガーゴイルがどのような姿であるかは三つに分類される。一つは動物の姿で、二つ目は人間の姿、三つ目は幻想的形態であると言う。これらはガーゴイル表現の歴史的推移も関係しているのであるけれど、僕は表現の幅に違いがあるのかもしれないと思った。現実の動物や人間の姿より、幻想的な形態の方が自由に表現できるという利点があるように思った。つまり、現実の制約を受けずに表現できるということだ。そういう違いをも含まれているのかもしれないと僕は思った。 

 9章では「一角獣」表現を取り上げる。正確に言うと、これは「一角獣とライオン」の象徴である。 

 細かい点をもっと取り上げたい気もするけれど、煩雑になるので止めておこう。 

 でも、いい本を読むと、簡単に感化されてしまうという悪い癖が僕にはある。この本を読んで、もっとロマネスク時代の芸術作品を見てみたいという誘惑に駆られるようになっている。僕のクセにも困ったものだ。「貪欲」の彫刻写真を眺めて、少し自分を諌めないといけないな。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

関連記事

PAGE TOP