6月15日(木):財産
今日は工場のアルバイトの給料日である。最後の給料日である。今日、そのアルバイト料が振り込まれていた。これで工場とは完全に縁が切れたことになる。なんとなく寂しい気持ちに襲われた。
これまでにも本業以外のアルバイトはしてきたが、それらは開業前からやってきたバイトであった。つまり、開業以前から新しいことはやっていないということであり、人間関係も広がりを持たなかった。
昨年から始めた工場のアルバイトは、僕にとっては20数年ぶりに新しい環境で仕事をする経験となった。最初は緊張の連続だったし、20数年前とは違って体の心配もしなければならなかった。やっていけるかどうか確信なんて持てなかった。
今までに未経験だった環境、それに新しい人間関係、まったく一から始める仕事、一方では新鮮な体験であり、他方ではプレッシャーでもあった。どうにかやってこれたのはあの職場のおかげだった。いい人たちとも巡り合えた。多くの人に助けられたように思う。
工場のバイトは、また、体に対しての信頼も取り戻すことになった。足が悪く、体力も低下し、体がもつかといつも心配していたが、思いのほか、身体的な問題はなかった。と言ってもまったくなかったわけでもないし、心配は常に少しはあったけれど、その都度なんとか乗り切ることができた。
昨年の6月には工場で始め、8月にはコンビニも始めたのだ。工場は再スタートの一歩だった。それだけに完全に縁が切れるというのも、一つの区切りとして受け止めると同時に、やはり喪失感のようなものもある。心残りもあるためだろう。
工場の仕事は、先にも述べた如く、僕にとっては未経験の仕事であり、すべてが未知の領域のことだった。最初は不慣れであったし、緊張してなかなか覚えられなかったりとかもあった。落ち着いて仕事ができるようになったのは半年ほどしてからだろうか。だんだんと仕事が分かってきて、いろんなことが覚えられ、できるようになってくると、仕事に対して面白味が感じられるようになった。
仕事が面白く感じられ、やる気もでてきて、初期のころのマイナス評価をこれから挽回しようと思っていたが、それは達せられずに終わった。そこには一抹の後悔というか未練のような気持ちが残る。これは今後とも残り続けることだろうと思う。
工場では仲良くしてくれた人たちもいる、ありがたいことだ。僕の人間関係も変化があった。飲み友達との関係はそれほど重要ではなくなってきた。飲み友達連中も嫌いではないし、縁があって知り合った人たちなので、それなりに大切にしたい気持ちもある。ただ、彼らの有する重要度が以前ほどではなくなった。コンビニでもバイトを始めるとその傾向がさらに強まったようだ。
工場での人間関係、コンビニのセブンでの人間関係、さらに今ではローソンの人間関係と、出会う人や知り合う人が広がっていくと、一つの場の関係に執着しなくなってくる。そのように体験されている。
振り返ると、いろんな職場を経験した。最初はスーパーD店だった。短期間だけれど百貨店でもバイトした。電気設備点検の仕事もあった。スーパーK店でも一年ほどバイトした。その後、クリニックに在籍し、リストラ後はファミマでの経験が長かった。その間にクリーニング店でのバイトも経験した。開業後は、電気設備点検とファミマを再開したのだ。それで今回、工場、セブン、ローソンとさらに増えたことになる。
それぞれの職場で僕に良くしてくれた人たちがいる。中にはツンケンしている人もあれば、不機嫌そうな人もいたりするけれど、昔ほど感情的に反応することもない。ツンケンしたり不機嫌そうだったり、そういう人を見ると、変に聞こえるかもしれないけれど、「かわいいな」と思ってしまう。子供っぽさを彼らから感じるからだ。そういう人も一方ではいるんだけれど、それでも大部分の人は多かれ少なかれ僕に良くしてくれた。彼らには感謝したい。
それを財産と思えない人は不幸だ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)