6月10日:人口減社会へ

6月10日(火):人口減社会へ

 今日は定休日だ。昨夜は2時頃まで原稿を書いていた。それから寝て、朝は少しゆっくり眠るつもりでいたが、7時頃に起床する。いつも大体4~5時間くらいしか眠れない。
 昔はもっと寝れたような気がする。8時間くらい寝ないと落ち着かなかったという時期があった。今はそこまで眠れない。4時間、4時間半くらいがベストだ。

 午前中は家に居て、パソコンの整理をしたりして過ごす。デジタル化と称してパソコンに取り入れた資料を整理していたのだ。パソコンの中でそういう作業をする。
 今日は外に出ていくつかの用事を済ませないといけない。今、外出先の喫茶店でこれを書いている。外はけっこう暑い。真夏というほどではなくても、歩いていると汗をかく。適度に休憩を入れないとやってられない。

 週刊誌を買った。「週刊現代」だ。今後の人口減少社会の予測が書かれていた。それを読むと、あまり明るい兆しは見えないな。記事では、昭和30年代のような状況になるだけであり、その時代にはその時代の幸せがあったではないかと締め括られていた。そんなに楽観する気になれない。
 30年後には日本の人口が1億人になると予想されていた。それも夫婦が二人の子供を産んでいればの話だ。本当は二人以上子供がいないといけないらしい。実際はなかなか計算通りにはいかないものだ。
 でも、これはあくまでも人間の数だけの話だ。実際には、結婚しない、できないという若い男女もたくさんおり、晩婚で出産しない夫婦もたくさんある。この数字を維持できる年齢層は限られている上に、その年齢層はなかなか結婚できないときている。おまけに、結婚して、子供が産まれても、うまくいかなかった夫婦、家族もたくさんいるが、それは数字の上では問われない領域だ。
 男と女が結婚するためには、双方がきちんと成熟していなければいけないと思うし、子供を育てるとなると、それだけの覚悟と自覚もしていなければならない。そう思うと、僕にはまだまだできそうもない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 国民の数が問われるのは、それが国の力となるからである。もし、一国の人数が少なくても、それで生活がやっていけて、国家が成り立つのであれば問題ないだろう。しかし、そういう国は大国が攻めて来たらひとたまりもないのである。国の人口が問われるのは常にそういう文脈ではなかっただろうか。
(平成29年1月)

 

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