6月1日(木):執筆に追われ
今日から6月だ。どうにかあたらしい月を迎えることができるのは嬉しい限りである。
今日、新規の予約が2件入った。いいことだ。依頼があるうちは細々とでもやっていける。まあ、これは独りだから何とかなるのだ。スタッフなんかを抱えていたら、とてもやっていけないだろう。
この一か月、どれくらい自分が進歩しただろうか。それを測定しようと思えば一か月前を振り返ってみればいい。
5月の最初と言えば、連休の最中だった。職場内の大掃除をやっているところだ。書籍の方も十分に取り掛かることができていなかったという時期だ。
書籍の方は、今現在、原稿用紙で100枚くらいの分量は書いたんじゃないだろうか。もっとも、それも完成しているわけではないが。
書籍に関してはもっと時間が欲しい。今月中に完成させないといけない。はっきり言って、無理だ。
2月に契約して、来年の2月に出版予定だ。でも6月に完成させないといけない。本当は5月中に完成させた方がいいということだ。つまり、執筆に4か月、制作に8か月だ。これは逆ではないかと僕は思う。製本と流通に執筆期間の二倍も必要だというのが、僕にはさっぱり訳が分からん。
執筆に時間をもっとかけたいのである。僕の場合、原稿もなく、契約の方が先に成立したので、通常とは異なるパターンである。そのために作業が過剰になってしまうのだ。
今日も空いた時間は執筆に費やした。本当はブログの公開をしたかったのだが、執筆の方を優先した。
書いていて、何もいいとは思えない。とりとめもなく綴っているようにしか思えない。自分の学のなさが目についてならない。
執筆に追われるとしても、それだけにすべてを注ぐわけにはいかない。通常の仕事や業務もこなさないといけないし、書くためには読まないといけない。いろんなものを読んでいると、良い表現や言い回しに遭遇するものである。そういうものを拝借したり参照して文章を校正する。
今の部分、もう少し説明しておこう。書いていると、適した表現や言い回しが浮かんでこないことが度々ある。取りあえず、ありきたりな表現で代用して、執筆を先に進める。後で、他の本などで、ああそうか、こういう表現をすればいいんだとか、こういう言葉使いをする方がいいなといった文章に遭遇するわけだ。それを活用するわけだ。内容と適合するようにそれをアレンジする。借りるのは言葉や言い回し、表現であって、思想ではないという点は強調しておこう。
夜、帰宅する。駅から自宅まで、突風の中を歩いて帰る。パラパラと雨が降り始める。帰宅を急ぐ。急ぎながら、膝の具合がいいと感じられている。帰宅した途端、大雨だ。ギリギリセーフだった。
映画を一本観る。マカロニウエスタンだ。未鑑賞だった『地獄から来たプロガンマン』(凄いタイトルだ)を観た。ちょうど一週間前に購入して、やっと観ることができた。まあまあ面白かった。ロレダナ・ルシナクがいい。映画のことはまたいつか別の機会に書こう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)