5月9日:コロナ・ジェノサイド~システムの犠牲

5月9日(土):コロナ・ジェノサイド(40)~システムの犠牲

 

 諸外国ではPCR検査が数多く実施されている。簡易検査キットが大活躍したとのことである。日本で実施されているPCR検査はとかく時間と手間がかかるものであるらしい。ところが、この簡易検査キットは日本で開発されたものであるそうだ。

 イギリスなんかでは日本製の検査キットの恩恵を受けているそうだ。その他の国でもそうであるだろう。ところがこの簡易検査キットは日本では使用できないのだ。認可が下りていないとのこと。

 日本で開発されながら日本で使用できないというものは、他にはアビガンがある。これは日本で開発された薬だ。そして中国なんかではこの薬でかなり助けられたらしい。ところが、アビガンもまた日本では未承認の薬なのだ。

 アビガンを服用しようと欲すれば、患者が自ら申し出なければならないようである。肺炎で声が出ない患者さんがアビガンを投与してくれと言うまで処方できないというのだから、呆れる他ない。

 

 確かに、なんでもかんでも認可するというわけにはいかない。国民の生活や福祉のためには開発品は審査され、正式に認可される必要がある。これは僕も反対はしない。

 その認可のシステムはもともと人間が作ったものである。国民の生活や福祉、あるいは生命に奉仕するためにこういうシステムが作られたのではなかっただろうか。

 ところが、今や事態は正反対である。国民がシステムに奉仕しているのである。このシステムを緩和するためには何人もの国民が命を落とさなければならないし、命を落とす危険性に晒されなければならないということになる。

 これが人命蔑視だと僕は感じている。生命を守るために作られた構造が機能せず、構造を活かすために生命が危機に瀕しているのだ。そして、その状況を変えようとはしないわけである。

 外国で効果が認められれば、国内で新たに治験しなくても、認可を下せばいいのである。僕はそう考えている。そうであればアビガンなんかも3月の時点で認可できたはずである。そして、国が承認すれば、その他の製薬会社もそれに参入できるのである。アビガンないしはアビガンに相当する薬を各社が製造し、我々の手元にもっと行き渡ることができるのである。

 緊急事態宣言下において、政府がしなければならなかった仕事はそういうことではないだろうか。薬品と検査キットの認可である。仮の認可でもいい、とにかく認可すればいいのだ。日本で開発された品物を日本人のために利用することの何が拙いというのだろうか。

 そうした認可に関する事柄に加えて、生活保障のことも決めていかなければならない。予算を組むだけでなく、速やかな運用を目指さなければならない。ここにもまたシステムの壁がある。煩雑な手続きを踏まなければならないシステムが出来上がっており、我々はこのシステムの犠牲になるのである。人間に奉仕するはずのシステムに人間が奉仕している状況である。

 医療崩壊を防ぐためには、全体の崩壊を防がなければならない。一か所に崩壊が起きると全体が崩壊していくことになる。そのため、医療崩壊を防ぐためには、保健所崩壊を防がなければならない。同じように検査機関の崩壊も防がなければならない。ここにも全体のシステムがある。保健所はかなりシステムの犠牲になっていると僕は感じている。このシステムも臨機応変に変えていかなければならないわけだ。

 政府が取り組まなければならない課題は山積みである。ありとあらゆるシステムに臨時の変更をしていかなければならないのである。マスクなんぞを配布している場合ではないし、ましてや年金受給年齢の議論をやっている場合ではないのだ。

 正直に言おう、こういう状況で、愛犬を膝に乗せ、ティーなんぞを啜って、自宅でくつろいでいる国のトップなんて諸外国には存在しない。そんな姿をコラボ動画にアップするなんて狂気の沙汰である。こういう危機状況において、国のトップや議員たちはそれこそ不眠不休で仕事をしているはずである。まだ各都道府県の知事たちの方が頑張っているし、何よりも、各都道府県に住む国民の方がよっぽど頑張っているのだ。

 

 若い研究者、あるいはこれから研究者になろうと目指している人たちへ、外国へ行きなさい。日本にいて、日本人の福祉のために開発しても、それは日本で認可されないということも起きるのだから、最初から外国で研究をした方がいい。アビガンを開発した人は相当悔しい思いをしたのではないかと僕は察する。自分が開発した薬品が、海外では効果を上げているのに、日本では認可されないので普通に使用できないという、この状況をどんな思いで耐えていることだろう。気の毒に思う。

 簡易検査キットを開発した人たちもそうだと思う。せっかくそういうのを開発して、実用化したのに、本国では使用されていないのだ。日本に貢献したくても、それを阻むシステムが横たわっているのだ。これも、やはり、システムの犠牲と言わざるを得ないように思う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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