5月8日(火):昨日のクライアントのこと
昨日来られたクライアント、新規のクライアントのことが気がかりで、夜はあまり眠れずだった。一週間ほど考えてみるということで彼とは別れたが、恐らく、一回限りの面接で終わるだろう。経験から言えば、そのように言う人はまず二回目がないということは確実なのだ。続ける人、あるいは、上手くやっていけるクライアントは即座に継続していくものだ。
自己が曖昧である、あるいは拡散しているとかいう感じは、精神病の中核症状なのである。私にはそれが見えている。そして、明らかに彼は悪化の方向へと進んでいることが理解できている。今、取り組んでおくことが望ましいのだが、彼は避けるだろう。
そのうち何とかなるとでも思っているのかもしれない。愚かな思考はそういう方向へと向かうものだ。健全な思考の持ち主であれば、そのうち何とかなるのなら、とっくに何とかなっているはずだということに思い至る。そして、何ともなっていないなら、これまでの中で何かが間違っているということを考えるものなのだ。
ああ、こんなことを言っていても始まらない。これまで何度、精神病を目の前にしながら、クライアントにそれを伝えられなかったことだろう。彼らは恐らく以前よりも悪化しているはずだと僕は思っている。なぜなら、すでに悪化の方向のプロセスにその人があるのが見えるからである。何もしないのであれば、その方向をそのまま進むであろうということは目に見えている。
例えば、小学校ではある特定の場面だけが苦手だったと述べる人がいるとする。それは何でもいい。みんなの前で発表する時であるとか、先生と面談する時といった場面である。そういう場面だけに困難を感じており、それ以外の生活はごく自然に送ることができていたという。その同じ人が、中学生くらいになると、友人関係で緊張し始め、異性の目を気にして、何も手に着かなくなるというようなことを体験するようになる。さらに、同じ人が、大学生になって、どのような場面であれ、人の視線をとても恐れるようになるとする。これを体験している当人はそれぞれの時期の体験を別個のものとして捉える傾向がある。でも、臨床的に見れば、これは悪化を意味しているのである。症状というものは、そうやって変遷していくものなのだ。
今の例が悪化しているということが見えるでしょうか。最初は特定の場面、もしくは特定の人に対してその人は困難を経験していたわけである。中学生になると、場面や相手の特定性が広がっている。大学生の頃には、さらに不特定性を増しているということが分かるかと思う。限定的だった困難が全般的になっていっているのが見えるのではないかと思う。私はこれは悪化であると見做している。
昨日の彼に、私は悪化のサインを見てしまっているのだ。彼はある一時期のことを話さなかったということに私は気づいている。もし、私が尋ねれば、彼は答えることができたのかもしれないが、彼が自発的にその時期を語るかどうかを見ることにした。彼は話さなかった、もしくは、話せなかった。その時期に悪化が進んだのではないかと僕は感じている。
まあ、彼がどうなるとしても、彼の人生だ。僕がとやかく言うわけにはいかないのかもしれない。彼が考えてみると言うのであれば、考えさせてみればいいだけのことだ。恐らく、その考えはどこにも彼を導かないであろうけれど、縁のない人だったと思えば、僕は苦にならない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)