5月6日:亡くなった呑み助 

5月6日(日)亡くなった呑み助 

 

 昨夜、かつての飲み友達に会って、それで久しぶりと言って、一緒に呑む。彼からいろんなことを聞いた。僕が断酒している間に起きたことなどである。 

 その中で、一人の呑み助が亡くなったということを初めて聞いた。毎日のように飲み歩いている人で、特に親しかったというわけでもないのだけど、よく一緒になったものだ。その人が亡くなったというのだ。 

 死因は病気によるもので、酒が直接の原因ではないのだけど、まあ、酒の影響も多少はあるだろう。40代の後半で亡くなった、独り者である。酒を呑むために生きたような人だ。 

 あまり詳しくは知らない。彼は個人的な事柄はほとんど話さない人だった。面白い人ではあったが、プライベートのことは話さないのだ。 

 なんでも兄弟がいたそうなのだけど、遺産相続でもめて、それ以来絶縁状態になっているということを聞いたことがある。結婚もしていないから、本当に独りだったのだろう。毎日、酒を呑んで、その場その場で顔見知りと愉しく会話して、それはそれで愉しかっただろうと僕は思う。その生き方がいけないなどと言うつもりは僕にはない。 

 しかし、彼には生き方を変える機会が何度かあったはずである。僕が知り合ってからも、少なくとも二回はそれがあった。一つは、彼の病気が悪化して入院した時だ。彼は一か月ほど酒のない生活を送った。その時に、酒と縁が切れれば良かったかもしれない。退院後に飲み屋で会った時は、身体もスリムになっていて、健康そうだった。でも、一か月も立たないうちに、身体は以前のようになっていった。元に戻ったのだ。もう一回は、どうも女性の友達ができたようで、その時期である。その人との関係を築き、維持していければ良かったのにと僕は思う。酒よりももっといいもの、価値のあるものが見いだせたかもしれない。 

 彼は毎日酒を呑んで愉しかっただろうとは思う。彼は愉しい酒を呑む人だった。でも、彼は毎日幸せだっただろうかと、僕は思う。その場限りの愉悦に身を任せて、それで死んでいく。酒飲みの一生とはそういうものかもしれないな。 

 まあ、故人のことをあれこれ書くのはよそう。酒の魔力や病気、独り者の苦悩、家族とのしがらみなどから、彼が今では解放されていることを僕は願うのみである。冥福を祈りたいと思う。 

 さて、僕の方はと言うと、彼の話もあってか、やっぱり酒は呑むものではないなという気持ちを新たにしている。この断酒が僕にとって、生き方を変える最後のチャンスになるかもしれない。そう思うと、初志貫徹する方がいいなと思う。連休前に酒を解禁して、いい話など一つも耳にしなかった。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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