5月4日:イベントに悩まされ 

5月4日(土)イベントに悩まされ 

 

 今日は本当なら現場仕事に行く予定だったけれど、中止になった。それで高槻に出る。ちょうどジャズストリートをしているところだ。今の僕には興味がない。 

 最初の頃はこのイベントを愉しみにしていたけれど、今ではまるで興味が持てない。エリアが縮小されたおかげで、僕の職場には騒音が以前ほど届かなくなった。これはありがたいことだ。人もあまりこちらの方には流れて来なくなった。嬉しい限りである。 

 このイベント、僕にとっては営業妨害以外の何物でもなかった。このイベントのために休業しなくてはならなかった。それも以前の話ではあるが。 

 一体、このイベント、誰が得をしているのだろう。明らかに僕のところには弊害しかない。あまり上手とも言えない演奏が延々漏れ聞こえてくるのは、けっこうなストレスになる。どこか一か所でやってくれる分には構わないのだけれど、あちこちの会場でライブ演奏をするからたまったものではない。屋外の会場が近いので音がよく聞こえる上に、会場間を移動する人の波がまた耐えられない。神経に障る感じがしてしまう。 

 そもそも、僕はこういうイベントごと、祭りごとが好きではない。これは「うつ病」性格によく見られる傾向だ。とにかく、騒がしいのが好きではないのだ。静かに生きたいと僕は願うのだけれど、僕の願望に反して、周囲がとてもやかましい。この騒々しさ、躁的なまでの喧騒は日本全体の話かもしれない。僕はそう思う時がよくある。 

 アフリカの原住民は夜中に火をこうこうと焚き、太鼓などを夜通し打ち鳴らすそうである。明るくして騒々しくするわけだ。こうして動物たちを寄せ付けないようにするのだ。それは自分たちの身を守るというだけでなく、安心のためでもある。躁的防衛というのはこういうものなのだ。 

 祭りやイベントごとを見る度に、僕は躁的なものを感じてしまう。不安をそうして打ち消そうという試みのように見える。現に、人が調子を崩すのは、祭りの後なのだ。一つの防衛がそこで終わってしまうからだと僕は捉えている。 

 ああ、これを書いている今も外では音楽が演奏されている。大の音楽好きの僕がうんざりするくらいだから、このイベントがどんなものだか推測してもらえたらと思う。 

 このジャズストリートというイベント、一体、誰のためにやっているのかね。僕は主催者に問いたくなる時がある。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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