5月4日(水):こんな生活も案外いいかも
今日も痛む足を引きずって、高槻へ出る。右足のほうは幾分ましになったけど、左ひざに激痛が走る。できるだけ膝を曲げないようにして作業する。
痛み止めの薬が効き始めているということは、昨日よりも治癒しているということだろう。
昨日、やり残した作業と、その他、細かなことをいくつかこなす。動いては、座って本を読んだり勉強する。また動いては座って本を開く。この繰り返しだった。
昨日と今日で、『青年期境界例入門』(シュバルツバーグ編)を読み終える。以前から繰り返し読んだ本なので、理解も早かった。
その他にはキャサリン・アン・ポーターの短編、C・B・ブラウン『ウィーランド』を継続中。ブラウンはそろそろ面白くなってきた。
あと、いろんな本の拾い読みをする。
体がきちんと動かないのはやっぱり不便だ。動かせるところは動かして、少しでも運動不足を解消しようと試みる。
日曜日に少し飲んだのを最後に、月火水と酒は飲んでいない。飲む気にもならない。
タバコは本数増える。鎮痛剤代わりにして吸ってしまう。痛みが続くと、何をしても集中できないので、タバコで気分を紛らせるわけだ。ついでに空腹もそれで紛らせる。食事も億劫になっている。作るのも食べるのも面倒に思えている。
病気だから何もできないとこぼしていた、この間のクライアントにこの姿を見せたいくらいだ。ずっと痛いし、動かせないし。それでも工夫してやっているのだ。横になってから立ち上がるまでに4工程踏めばうまくいくというのも今日発見した。階段を降りる時のコツ、上るときのコツもつかめてきた。外を歩くときも、杖と上半身を上手く使い、疲れないようにする歩き方もかなりマスターした。
ただ、大きな物を持って歩くのは、今の段階ではけっこう怖い。転びそうになる。ゴミを出せないのが今の悩みだ。
帰宅してから、いろいろ思う。今日は一日、誰とも会わなかったし、誰とも言葉を交わさなかった。これが毎日となるとまた違ってくるのだろうけど、少なくとも今日は、それで孤独だったわけでもないし、孤立感に襲われることもなかった。ある部分ではいつもよりも充実していた。
こんな生活も案外いいかもしれない。仕事以外では人と会わない生活というのもいいかもしれない。そして、本を読んで、いろんなことを学んで人生を終えるのもいいかもしれない。
もっと、本を読みたい気持ちになっている。アル中やニコチン中よりも活字中毒のほうがはるかに健全だ。この辺りでシフトしていってもいいかもしれない。酒もタバコも知らなかった活字中毒時代へ戻ってもいいかもしれない。
心であれ体であれ、どこか一か所が悪くなると、そこがピンポイントで悪くなるのではなく、そこを中心に複数の部位が悪くなる、あるいはそこを中心に広範囲の部分が悪くなるものだと、あらためて実感している。
今回、この足の件にどこまでツー(痛風)が関係しているかは分からない。僕は思うのだけど、ツーに関しては、すごく前時代的な観念を持っている人が多いのだ。かつては「贅沢病」などと言われていたのだけれど、もっと他の要因がこれに絡んでいるのだ。食生活も確かに一因ではあるが、それよりも体質や遺伝、腎臓機能などの要因の方が大きい。
ツーにかかる僕が贅沢ならそれはそれで仕方がないが、僕から見れば、ツーにならない人で僕よりも贅沢な人なんてゴマンといる。
連休で宿泊の旅行に行っている人も多いだろう。僕から見れば贅沢だ。せめて日帰りにしておくべきだ。
泊りがけで旅行したのなんて、この12年間で一度だけだった。それも友達に誘われたからで、誘われなかったら行かなかっただろう。
結局、何が贅沢なんて誰にも分らないのだ。栄養価の高いものをたくさん食べるのが贅沢だと考える人もあれば、年に一度でも旅行に行けるのが贅沢だと思う人間もいるわけだ。僕に言わせれば、スマフォ持ちやマイカー持ちはかなり贅沢である。
つまり、贅沢というのは、基準があるわけではなく、ただの評価に過ぎないのだ。しかも、自分自身に対してではなく、他者に対してなされる評価の一つに過ぎない。そう思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)